第六〇七話 緑の日々(九)
急展開となった、らしかった。伝聞になるのは尋道が取り仕切っているためだ。景と春菜の高鷲重工アストロノーツ加入の件である。
「郷本さんのことですし、全部、決まっちゃってる可能性が高くないですか?」
後部座席の祥子が言った。夕方の便で出発したLBA組を、東京空港に見送った帰りしなだった。
「決まってるよ。間違いなく」
応じたのは、助手席に座る景だ。
「ですよね」
もう一人、後部座席に陣取る佳世が追従した。
「順調に、あの男の腹黒さが認知されてきて、私はうれしいよ」
三人のやりとりを聞いた孝子はにやりとする。
「それって、信頼するが故の軽口ですよね。お姉さん」
「さっちゃん。今、橋の上だけど、飛ぶ?」
四人の乗る車と、はるか先を行く麻弥とみさととは、カラーズの出戻りオフィス、SO101に向かっている最中だ。現地では尋道が待つ。彼は、アストロノーツとの調整作業に臨む、と称して空港には顔を出していなかった。
SO101の入居する舞浜大学千鶴キャンパス、インキュベーションオフィスは、構内の北端にある。その駐車場に乗り入れると、先行しているはずの麻弥の車が見当たらない。
「寄り道かな」
「買い出しかもしれません」
祥子の予想は当たった。薄闇の中で待っていると、間もなく麻弥の車は到着し、助手席から降り立ったみさとの手にはコンビニ印の大袋だ。
「さすがに抜かれたか」
「その車でも無理だったね」
麻弥の愛車は、恋人の剣崎から買い受けた、かのスーパースポーツカーである。
「さて。郷本君。どんな話を持ちだしてくるのやら」
五人の注目を一身に集めた尋道だが、その顔は渋い。ワークデスクの上に積み上げられた飲食物のせいだった。
「そんな顔しないでよ。別に、郷さんだけに、食え、って買ってきたわけじゃないんだし」
「もし、それをやったら、果たし状と見なしますよ」
飲食への関心の薄い彼である。
「で、郷さん。どうなったんさ? アストロノーツさんとの調整は」
「ぜひ、欲しい、と。昨シーズンは、いいようにやられましたからね。アストロノーツさん」
日本女子バスケットボールリーグは、昨シーズンより外国籍選手の参入を解禁した。かつて高身長の外国籍選手たちに蹂躙された苦い経験によって、やむなく敷かれた規制の撤廃は、日本人選手の、慣れ、を狙ったものであったが、この、慣れ、の最前線に立たされた高鷲重工アストロノーツとウェヌススプリームスにとっては、受難以外の何物にもならなかった。特に、アーティ・ミューアとシェリル・クラウスを擁する神奈川舞姫戦とイライザ・ジョンソンのナジコハミングバード戦はひどかった。完膚なきまでにたたきのめされた。
「いわゆる生みの苦しみですが、体面や面目もありますからね。そうそう無様に負け続けるわけにはいきません。そこへ、今回の話ですよ。五人のユニバースゴールドメダリストを手元に置くことがかなえば、あとは怖いものなしだ。舞姫と同様に、スタメンで試合の主導権を握って、若手には伸び伸びやらせてあげる、なんてまねもできます」
「五人?」
孝子の問いに尋道が返しかけた時だ。
「淵さん、武藤さん、北崎さん、池田、私、で五人じゃないですか」
景の説明で得心がいった。元々、アストロノーツが抱えている二人と、移籍と新加入で加わるであろう三人を合わせて五人だ。
「郷本さん! 私の話もまとめてくださったんですか!」
佳世が声を弾ませた。
「いえ。これは、先方のおっしゃったことです。北崎が来るなら池田も漏れなく付いてくるだろう、と」
「人をおまけみたいに」
言いながらもにやついていては世話がない。
「じゃあ、それで決まり?」
「ところが、そう簡単にはいきそうになくてですね。順を追ってお話しますよ」
初めて、尋道がワークデスクの上に手を伸ばした。ミネラルウオーターで口を軽く湿らせて、続ける。
「まず、須之内さんの出した条件ですが、神宮寺さんには部長付アドバイザーとしてアストロノーツさんに関わっていただくことで実現します」
「部長っていうと、木村さんか」
孝子のつぶやきに尋道はうなずいてみせた。
「はい。それに先立って、アストロノーツさんと舞姫さんが提携します。これがないと神宮寺さんのアドバイザー就任は舞姫さんへの絶縁状になりますのでね。ここまでは、どうです?」
「別に、いいよ。アドバイザーなんて、どうせ何もすることないだろうし」
「はい。それから、須之内さんとアストロノーツさんの関係ですが、選手契約のみで籍はカラーズに、としようかと。部長付アドバーザーの威光をかさに着るためには、この形態が最も適しているのでね。もちろん、重工さんの社員になりたい、というのであれば変更も可能ですが」
「いえ。籍はカラーズのままがいいです」
「わかりました」
ここまでは、順調なように思える。とすれば、だ。春菜絡みが、簡単にいかなかった、と予想できる。「至上の天才」と称されるバスケットボールの異能者が、何かと言動に問題を抱えているとは、孝子も把握するところである。さて。何が出てくるやら。尋道の続く言葉を孝子は待つ。




