第六〇五話 緑の日々(七)
孝子の大学卒業は七人を集めて祝われた。うち、急きょの参加は四人だ。カラーズ中で都合の付いたみさとと尋道が景の手配でやってきた。また、尋道は姉の一葉を伴ってきた。会場となった「本家」のDKは、ちょっとした喧噪となっている。
「さあ。ばんばん握るよ。注文、注文」
「注文、って。マグロしかないだろ」
キッチンに立ったみさとが、腕まくりをしてほえるそばから、孝子はやじを飛ばす。
「何を言ってんだ。漬けに、ねぎとろに、あぶりもやるよ」
大トロ一〇柵の調理を、喜々として買って出た板前は、即座に言い返してきた。
「結局、マグロじゃないの」
「お前、食わさん」
「待ってください。お預けの刑は、神宮寺さんに成り代わって、僕が甘んじて受けますよ」
床に座り込んでロンドと戯れている尋道の声に、孝子とみさとは、きっとなった。
「君は」
「郷さんは」
「食べる気がないだけでしょうが」
見事な連携の糾弾を目の当たりにして景の拍手だ。
「いいなあ。皆さんのチームワーク。私も、いつか加われるよう、精進します」
「お二人のように僕をなじるつもりですか」
「まさか。郷本さんの分を頂戴する方向に持っていくだけです」
「須之内さん。もうなじんでるじゃん」
那美と一葉の猛烈な注文を、せっせとさばきながら、みさとが言う。
「ねー。須之内さんって、静お姉ちゃんの後ろに突っ立ってて、ぼそぼそしゃべるイメージしかなかったんだけど、すごく明るくなってて、驚いた」
「こら。那美」
口さがない那美を美咲がやんわりたしなめる。
「いえ。実際、昔は、そのとおりだったんで」
「いい兆候だね。役に立ってくれそうな気がするよ」
「そうだ。お姉さん。役に立つといえば」
隅に放っていた持参のショルダーバッグを手にした景が、中をまさぐって取り出したのは、白い、長細い箱だ。筆箱のようにも見える。
「卒業祝いを持ってきました」
「ほう。何を持ってきたのかね?」
開けてみるとスマートウオッチだ。巨大なメタルボディーと派手な水色のバンドが目に付く。
「スマホと連動させると着信をわかるようにできるんですよ」
「それの、何が、私の役に立つのかね?」
「お姉さんには、何も。社長秘書としての私にしか。風の噂では、お姉さん、さっぱり電話に出てくれない、と聞いてまして」
「ああ?」
余計なまねを、と思ったが、景はべらべらと続ける。
「かわいい部下が知恵を絞ったんです。使ってください」
「見当たらないんだがね。かわいい部下とやらが」
「老眼ですか?」
「こやつ。おい。採用担当」
二人の掛け合いを、にやにや眺めている尋道に毒づく。
「須之内さんと池田さんをカラーズで取る、と決めたのはあなたですが」
「はあ?」
「記憶にないのなら結構です。それにしても、怒らないですね」
孝子の音信不通ぶりに業を煮やし、ウエアラブルデバイスの導入を、一度ならず検討した尋道という。しかし、間違いなく怒らせる、と都度、断念してきたのだとか。
「須之内さんとの相性のよさですかね」
「いや。悪いよ」
「いいんですね」
孝子は舌打ちの連打だ。内定取り消ししてやりたい、と不穏なつぶやきを発しながらスマートウオッチを着ける。
「須之ちゃん。大きいよ」
巨大なメタルボディーは手首の上に手塩皿があるような感覚だった。種々の場面で支障が出てきそうな気もしてくる。
「私も店で試着してみて思いました。まあ、そういうものなので、仕方ないか、って」
握りを頬張ったままの一葉が、何やらうなりながらのぞき込んできた。
「一葉さん。ちゃんと飲み込んでからにしなさいよ」
尋道の叱責が飛ぶや、一葉は手を上げて弟を制した。待て、待て、とやっているうちに、そしゃくが済んだ。
「孝ちゃん。ペンダントにしたら? チェーン、作ってあげよう。私からのお祝い」
一葉は「ICHIYO」の号で活動するアクセサリー作家だ。ペンダントチェーンの製作程度、お手のものであろう。
「そんなことをしていただいたら、これ、使わざるを得なくなるんですけど」
「お。レベルの高い嫌がらせだって、ばれたか」
景を加えた三人がばか笑いだ。
「まとまったなら、おしゃべりはそれぐらいにして、孝子たちもいただきなさいよ」
美咲の声に孝子と景はみさとの元へと寄る。最初は握りで始めるのが本筋だろう。同時の注文を受けて、板前の威勢のいい応諾がDKに響き渡った。




