第六〇三話 緑の日々(五)
珍しい客もあったものである。週末の夜に、尋道は須之内景と池田佳世の訪問を受けた。個人的な縁故はなく、カラーズ社員と同内定者という立場があるだけだ。用向きは、その絡み、とみた。
「こんばんは。どうぞ」
門灯を頼りに立ち話ともいくまい。玄関先から応接室へと場所を変えた。コーヒーを、と断って、尋道はいったん席を外した。
台所で湯が沸くのを待つ間に思案する。十中八九は内定辞退とみた。舞姫の関係に変化が生じたことにより、就職先としてのカラーズに不審、不満を抱いたのだろう。致し方なしと思えた。心変わりをとがめる権利はカラーズの側になかった。舞姫への口利きを確約する。それで、ほぼ解決となるはずであった。
「お待たせしました」
整理を済ませ、応接室に戻った。二人にコーヒーを供する。
「ありがとうございます。あの、今日は、すみません。こんな夜遅くに」
景が頭を下げ、佳世も続く。午後一〇時過ぎは、確かに、他人の家を訪ねるには、やや遅い。
「明日、あさってだと、せっかくのお休みをお邪魔しちゃいますし、週明けだと、池田が全日本の合宿が始まっちゃうんで」
「ああ。そうでしたね。須之内さんは、今年はずっと教職のほうで?」
「はい。各務先生にご配慮いただいてます」
「わかりました。さて。ご用件は?」
「はい。舞姫の件なんですが」
おいでなすった、と尋道は身構えた。
「カラーズへの就職と舞姫への入団は、セットなんでしょうか?」
「いいえ。ご心配なく。全くセットではないですよ。舞姫さんにはこちらから話を通して、必ずお二人を受け入れてもらいますので。心配は無用です」
景と佳世が顔を見合わせた。
「郷本さん、違います」
「違う、とは? 内定辞退にいらしたんじゃないんですか?」
「まさか。違います。お姉さんと縁の切れた舞姫が、微妙に思える、って池田が言ってきて。私も、そのとおり、と思って」
思いがけない景の言葉だった。カラーズには入りたいが、舞姫には入りたくない、と言っているようだが。
「ああ。そういう。いえ。そちらの意味でもセットではないですよ。ただ、そうすると、お二人は、バスケットボールは、どうするんです?」
「そこまで身を入れてきたわけでもないので。それよりも、将来を考えると、お姉さんと、より近しいところがいいです」
「お仲間とたもとを分かつことになりますが。具体的には、須之内さんなら静さんと。池田さんなら北崎さんと」
「構いません」
景の即答だ。さすがに逡巡を見せた佳世は目を丸くしている。
「お姉さんと縁の切れた舞姫なんて。人生を預けるなら、お姉さんです」
「ほう」
なかなかに、言う。尋道は感嘆した。
「あ。本当だ」
ぽつりと佳世がつぶやいた。
「どうされました?」
「いえ。今日の話、事前に、お姉さんにも相談したんですけど、その時、郷本君が喜びそうなことを言うね、って言われて」
自分を異様に買う尋道に向けて同意を示せば、すなわち彼の好評を得るであろう、という孝子の予想であった。
「そのとおりです。現在のカラーズを取り巻く環境の、九分九厘はあの方が呼び込んできたものなのでね。そこに重要性を認めないほうが、むしろおかしいわけです」
「おっしゃるとおりかと」
重々しい相づちは景である。
「須之内さんは、最近、貫禄が出てきた、と伺ってますが、確かに」
「お姉さんと郷本さんの、ご指導ご鞭撻のたまものです」
「これは、手強い。須之内さんが我々を恐れている、みたいな話を小耳に挟んでいたので、ちくりとやろうとしたら先手を打たれましたよ」
「先手ではなく、本心です」
二人には、特に尋道には、カラーズの内定前後で厳しく鍛えてもらった。おかげで肝が据わった。感謝してもしきれない。うんぬん、と景は言うのだ。
「覚えがないんですが」
「お姉さんは、何しろすぐに怒るから怖くて。郷本さんは、私のこと、一切、買ってない、っていうのがひしひしと伝わってくるんですよ。それが気楽な反面、何かやらかしたときには、ちゅうちょなく捨てられるんだろうなあ、って、すごく怖くて」
「そういった恐怖にあらがっているうちに、少々では動揺しなくなった、と」
「はい」
「お役に立てたようで何よりですよ」
「恐れ入ります」
堂々とした物言いではないか。肝が据わった、という景の自己評価は確からしい。箸にも棒にも掛からなかったころと比べれば雲泥の差である。
「その様子だと舞姫さんへの忌避は本気のようですね。池田さんは、あと一年あるので、もう少し思案してもいいとして、須之内さんのほうは早急に関係各所と図らなければいけませんが」
「郷本さんのお手を煩わせるまでもありません。自分で処理します」
真実、見違えるようだ。もしかすると使いものになるかもしれなかった。尋道は景への一任を決めた。お手並み拝見といく。




