第六〇〇話 緑の日々(二)
こまごまとした備品がなくなっただけに過ぎなかった。ワークデスクやコーヒーメーカーといった大物は依然として存在する。それなのに、この空虚さは、どうだろう。カラーズショックから一夜明けた朝のオフィスで物思いにふける祥子だった。
今、祥子はカラーズ島にいる。昨夜、みさとに言い渡された有給休暇を、漫然と、消化している最中だ。オフィスに他の人影はなかった。舞姫は総出で関係各所へお礼参りに出掛けていた。本来であれば祥子も参加すべきなのだが、舞姫マネージャーの井幡由佳里に、有給休暇の消化を厳命されていた。みさとの説明を額面どおりに受け取ってはいけない。これ以上、カラーズを刺激してはいけない。その意向に逆らってはいけない。などと井幡は、危機感もあらわに言っていた。
井幡以外の面々も一様に不安を隠せない様子だった。いきおい、事態の元凶と目された静は、立つ瀬のないありさまとなる。聞けば、釈明のために孝子を訪ねるも、つれなくあしらわれたらしい。今朝、見掛けた静の顔色といったら、とても見られたものではなかった。途中で具合を悪くして、倒れたりしていなければよいのだが……。
出し抜けに舞姫館の玄関が開いた。ぎくりとして見ると、麻弥とみさとの姿があった。
「あれ。高遠さんじゃん。今の時間は外回りじゃなかったっけ?」
「あ。お疲れさまです。私は、居残りで」
祥子の説明を聞いたみさとは渋い顔だ。
「思ったよりも深刻に取られちゃってる感じね」
それは、そうだ。祥子なども、切り捨てられた、と感じたほどである。
「ない、ない。それは、ない。そっか。改めて説明したほうがいいみたい」
やめるのは口出しだけだ。支援は変わらず継続する。この点を明確にしておくとしよう。そう、みさとは言った。
「高遠。舞姫さんたちは、いつごろ戻る?」
麻弥の確認だ。
「正確な時間はわからないんですが、午後になるかと」
「どうしようか。私たち、そこまで待ってられないよ」
二人は半休を取って舞姫館に来訪したという。
「時間を改めるか、日を改めるか、だな」
「早いほうがいいだろうし、もう一度、夜に来ようか。高遠さん。舞姫さんの予定がわかったら連絡して」
「はい」
「じゃ、私たちは作業があるんで。行こう」
二人が並んで歩きだした。祥子は、その背らを追った。
「今日は、どうされたんですか?」
「カラーズで使ってた部屋の片付けよー。あ。高遠さん。せっかくの有休中に悪いんだけど、手伝ってくれないかな。神宮寺を来させるわけにはいかないし、郷さんには、断固、拒否されたし、で。二人だけは、ちょっとつらそうなんだ」
「はい。喜んで。でも、郷本さんは、どうして?」
彼の行動に、らしからぬけんのんさを感じた祥子は、思わず問うていた。
「どうして、って。高遠さんはカラーズの仲間だし、隠し立てはしないけど、今回の引っ越しは郷さんの音頭だもん」
「え!?」
これ、他に言わないでよ、と念押しした上で、みさとは続けた。
「あの人、ここで一席ぶったっていうじゃないの。神宮寺が絶対、って。神宮寺の邪魔をするやつは許さない、って」
確かに、言っていた。
「だのに、静ちゃん、やっちゃった。仮に、今回、何も起こらなかったとしても、いずれ別の誰かが同じようなまねをしでかすのは確実だし、いっそ関わりを断ちましょう、だってさ。郷さん、あれで、こわもてなところあるしね」
合点がいった。カラーズの舞姫に対する配慮は見せ掛けのもので、真意が別にあったのだ。カムフラージュということになる。
「いや。カムフラージュじゃない。元々、あった話なんだ。歌舞とか。舞姫に断りもなしに選手を取ったりとか。高遠の籍もそうだよな。孝子が、いろいろ振り回してるだろ? あいつを説得するのは無理だし、これ以上、舞姫に迷惑を掛けないためには、距離を置くしか手はない、なんて。ちなみに、これを言い出したのも郷本なんだよ。だから、どっちとも、あいつの本音。孝子の邪魔をするやつを許さないのも。舞姫に迷惑を掛けないために距離を置くのも」
「そうだったんですか」
「そ、そ。まあ、後は任せておいて。静ちゃんの立場もあるし。なんとか、丸く収めますわ」
「はい。お願いします」
破局は、免れそうな気配だった。後は軟着陸まで、滞りなく進行するよう務めればよい。手始めは、麻弥とみさとの手伝いを完了させることだ。祥子は行動する。




