第五九話 姉妹(一二)
海の見える丘の1LDKに、五人が住まう現状の部屋割りは、以下のとおりとなっている。普段、孝子が使っている部屋に春菜が入り、孝子は麻弥の部屋に居候、静と那美が、普段、春菜の使う和室に、だった。仮にも妹分たる自分に、気遣いは無用、と春菜は主張したが、孝子は無視していた。
それは、早朝恒例の「春トレ」のため、孝子と麻弥がLDKに出てきたときのことだった。静と那美の姉妹はまだ夢の中のころだ。いつもであれば、春菜は床にトレーニングマットを敷いて、二人を待ち受けているのだが、この日は、いない。寝坊か、と部屋の前に立ってうかがうと、中からは何やら話し声が聞こえてくる。当然のマナーとして二人は身を引いた。
「……お休みにする?」
「そうだな」
うなずき合った孝子と麻弥の表情は、さえない。早朝や深夜にもかかわらずの電話には、どうしても不測の事態が連想された。果たして、一時間後のLDKに現れた春菜の、下唇を軽くかみ、伏し目がちなさま、予想が悪い方向に当たった、と思わせるものだった。
「おはる、おはよう」
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよう、春菜さん」
「おはよーう」
ダイニングテーブルに座る静と那美の明るい声だった。二人が海の見える丘に転がり込んで、はや一週間。だらだら、べたべた、と二人はまだまだ居座り続ける気満々だ。
二人にあいさつを返した後で、春菜はキッチンに立つ孝子と麻弥にぺこりと頭を下げる。
「朝は、すみません。松波先生に、お電話をいただきまして」
四〇年の長きにわたりナジョガクを率いる老練の指導者、松波治雄教諭の名が出てきた。
「何か……?」
「いえ。朝一で連絡してくるようなことではなかったんですけど。年寄りの朝は早い、って本当ですね」
言って、少しの間の後、春菜が目を向けたのは静だった。
「静さん」
「はい」
キッチンのやりとりに、ただならぬものを感じたのか、静の顔にも緊張が走る。
「池田のこと、怒ってますか?」
「池田さん……?」
全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会の決勝戦で対決した鶴ヶ丘高等学校と那古野女学院高等学校の、それぞれのエースが神宮寺静と池田佳世だ。二人には、試合中の接触事故で、静が退場した、佳世が退場させた、という因縁がある。
試合は鶴ヶ丘が勝利し、初優勝を遂げたのだが、静はその場に――これは、もっぱら孝子のせいだが――居合わせることができず、今もトレーニングの再開すら、ままならない状態だった。
「怒ってないですよ。むしろ、私が全力で走ってたら、多分、池田さんは追ってこなかったと思うし、どっちかって言うと、私の油断かな、って」
「はい。お姉さんと那美さんのいる前で言いにくいのですが、私も全くそのとおりと思います。静さんらしからぬプレーでした」
静の顔に渋い笑いが浮かぶ。それは、春菜ではなく、自らへと向けたものだろう。
「何ー。なんてことを言うの」
キッチンに飛んできた那美が春菜に組み付く。本気でやっているわけではなく、組み付いた後で抱え上げられるのを、最近の那美は気に入っているのだ。このときも春菜は那美をふわりと抱え上げる。いくら細身とはいえ、五〇キロに近い那美を、軽々と持ち上げるのは、さすがだ。
「助けて、麻弥さん」
「絶対にかなわないのに、お前も好きだな」
「……那美さん。メロンの食べ放題に興味はありませんか」
「ある」
即答だった。那美も麻弥と同じく、春菜の実家が生産するメロンの愛好者である。
「では、ご招待します。静さん。かわいい妹さんを、まさか、一人で行かせたりはしませんよね?」
「ええ……?」
「お二人も、未成年の監督にいらっしゃいますよね?」
「いや、私たちもまだ未成年だが」
「どうします、那美さん。正村さんが非協力的ですよ」
「やっつける」
「……今朝の松波先生のお電話と、関係があるのね?」
冗長に流れつつあった会話を、孝子が切る。
「はい。実は、池田がべこっとへこんでるらしくて。まあ、そうなるとは思います。あれは、極端にへなちょこなので」
「で、優しい先輩に、なんとか元気づけてやってくれ、って電話だったのか?」
「はい。ただ、今回は相手のあることですし。静さんにもお言葉をいただけたら、と。これは私の考えですが。後、お世話になっているお二人を招待したい、という、こちらは前々から親に言われていたことですが。どうでしょうか」
「私はともかく、麻弥ちゃんはメロンのお礼を言わないとね」
「それは、言い返せないな」
「私も、いいですよ」
静もキッチンにやってくる。そして、抱え上げられたままだった那美の背中に手を当てる。
「むしろ、池田さんのおかげで、那美とこうして仲直りできたんだし、感謝してるかも」
姉妹の思春期の行き違いが、姉の負傷を契機として融解した、というのが春菜への説明だった。もちろん「通字」うんぬんのくだりまでは語っていない。
「まあ、それを池田佳世に言っても仕方ない。気にするな、だけでいいだろ」
「うん。そうする。あ、そうだ。ナジョガクを、見学してみたいかな。あと、松波先生にもお話を聞いてみたい」
「わかりました。では、よろしくお願いします」
深々と、春菜が頭を下げた。そして、全員の予定を繰り合わせた末に、二日後から二泊三日での那古野行きが決まったのだった。