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未知標  作者: 一族
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第五話 フェスティバル・プレリュード(五)

 舞浜市一七区のうち、市域の南部中央に位置する(みゆき)区は、緑地や丘陵の多い、のどかな土地――ありていに表現すれば、田舎――として知られている。目立った産業はなく、ベッドタウンとして発展してきた幸区に、鶴ヶ丘(つるがおか)と呼ばれるなだらかな丘を巻く、その名も鶴ヶ丘という住居地域がある。この鶴ヶ丘が神宮寺家の根拠地だ。

 一〇〇〇坪に届こうかという神宮寺家の敷地は、縦長の長方形を取っている。その北側三分の一を「本家」の木造平屋が占め、中央には駐車スペースを兼ねたロータリーがあり、南西にプレハブ二階建ての「新家」、南東は草木を配した庭園だ。

 このうち「新家」と「本家」についてだが、神宮寺家の現当主である美幸が住む「新家」こそ現在の「本家」であり、前当主の住まいであった「本家」には違った呼称を用いるのが、厳密にはふさわしいのだろう。しかし、神宮寺家の人たちは拘泥しなかった。神宮寺美幸、婿の隆行、長女の(しずか)、次女の那美(なみ)、そして一年前まで孝子も暮らしていた家屋を「新家」、前当主の夫である(ひろし)、その次女の美咲(みさき)が暮らす家屋を「本家」と慣習的に呼び続けている。

 一年ぶりに鶴ヶ丘で一夜を明かした孝子は、この日もいつもどおり午前五時半に目を覚ました。昨夜の和やかな祝宴のことなどを思い浮かべながら寝床にいた孝子だったが、すぐに手持ち無沙汰になり、手早く着替えると自室を忍び出た。そのまま勝手口に向かい、日の出前のひんやりとした薄闇に紛れる。「新家」の人たちは二階で寝ているので、孝子の行動が発覚する恐れはない。孝子の部屋は一階にある四畳半の和室だ。何度も増築の話が出た狭い部屋であったが、固辞し続けて今に至っていた。

 孝子は敷地の西にある門を出た。そのまま歩を左に運ぶ。「新家」を視界の左に捉えながら進むと中央線のある道に突き当たる。このとき、孝子が歩いてきた道を挟んで「新家」の向かいにあるのが正村麻弥の実家だ。もう一つ向こうには郷本(ごうもと)という、これも孝子の友人の家がある。

「新家」の角を左に曲がると、正面に見えてくるのが舞浜市立鶴ヶ丘高等学校だ。孝子の母校である。

 高校前の道を左に、方角では北に進むと、鶴ヶ丘を東西に走る国道に出る。国道の向こうには線路が並走していて、東に三〇〇メートルほど行けば鶴ヶ丘駅だ。

 国道と高校前の道が造る丁字路の角地には、神宮寺美咲が院長を務める神宮寺医院がある。医院から西に整形外科、コンビニ、自動車ディーラーと続く並びも神宮寺家の土地だ。

 コンビニに入ろうとした孝子にあいさつの声が届いた。出勤前に立ち寄ったふうのスーツ姿の男性だ。孝子はこの男性を知らなかったが、大きな声であいさつを返した。神宮寺家の娘だ、といって声を掛けられたわけではない。鶴ヶ丘では皆がこうなのだ。

「行政や学校に任せっきりにしておいて、かけがえのないものが失われた後で怒り、悲しんでも遅いのです」

 一〇年以上も昔に、神宮寺美幸が町内会でぶった演説の一部である。老若男女を問わないあいさつ運動の徹底、町内会の役員やOB会、子育ての現役世代まで巻き込んだ綿密な防犯パトロールの実施、私費を投じての防犯カメラ設置――。鶴ヶ丘が「安心・安全、子育ての町」とまで称されるようになった理由は、紛れもなく美幸会長の強力な指導のたまものだった。

 熱い茶を買い、孝子はコンビニを出た。来た道を戻らず、西へと進み、自動車ディーラーの角で曲がると、すぐに再び曲がって、自動車ディーラー、コンビニ、整形外科の並びの裏手を歩く。このまま真っすぐに行けば神宮寺家に戻る。

 門の前の人影に孝子は気付いた。ショールにすっきりとした肢体を包んで美幸が立っている。

「こら」

 腕を振り上げた美幸に、孝子はぺこりと頭を下げた。

「はい」

「どこに行っていたの?」

「久しぶりだったので、ちょっと散歩を」

 美幸は巻いていたショールをほどき、孝子の肩をくるんだ。

「一言、言っていって。心配するでしょう」

「はい。ごめんなさい」

「本当に」

 並んで歩きかけて、孝子はふと足を止めた。

「どうしたの……?」

 目の前の大きな門を孝子は指した。一〇年前は手押しの鉄門だった。今は車用の電動ゲートと人間用の電子錠付門扉が並んでいる。

「一〇年前も、この門から入りました」

「うん。覚えてるよ。私のほうがずっと高かったのに、いつの間にか抜かれたね。大きくなって」

 一六七センチの美幸の身長は一〇年前と変化していない。一方、一五〇センチに届いていなかった孝子は一七二センチまで身長を伸ばしていた。

「きっと、私の育て方がよかったのね」

「はい。そう思います」

 真情を吐露したつもりだったが、ジョークと受け取ったのか、美幸は唇をとがらせる。その表情を孝子はまねた。二人の間に笑いがはじけた。

 やがて、笑声が収まった時、だ。

「おばさま」

「何?」

「ただいま」

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