第五九六話 スイートホーム(二八)
せっかちでは並ぶ者のないのが孝子だった。美鈴とアーティの担当楽器が決まったところで、こっそり剣崎に電子ドラム、ついでにギターを発注した。驚かせてやるつもりなのだ。疾く、という孝子の声に応じて、剣崎は翌日、再び、「本家」へと姿を見せている。
「やべえ。せっかくの休日なのに、デートができないだろう、って怒ってる顔だ」
音楽家に同行してきた麻弥と顔を突き合わせて、孝子はおちゃらけてみせた。「本家」の玄関先での一こまだった。
「怒ってない! 二日連続で郷本に頼むのは気が引ける、って剣崎さんがおっしゃったから一緒に来ただけだ!」
「本当にー? 私に物申したくて来たんじゃなくてー?」
「本当だよ。だいたい、今日も舞姫の試合があるだろ。デートなんかする暇ないって。お前、こんなの頼んだぐらいだし、体調は戻ったんだよな? 今日は行くよな?」
「まだ疲れが取れない。残って仕事してる」
「仕事?」
「楽器に慣れ親しむ仕事」
「何が、仕事、だ! お前の趣味だろうが!」
「表向きはね」
二人の会話を尻目に剣崎は養生シートの貼り付けを始めている。興味ないらしい。おそらく、既に尋道からいきさつの報告を受けているのだろう。
「表向き?」
「今回の件は全て、郷本君のたくらみだよ」
カラーズと舞姫に、スーパースター、アーティ・ミューアの余慶を被らせるべく、孝子との共闘を餌にして、彼女の舞姫退団を先送りさせようという深謀遠慮である。
「ああ」
ぷりぷりしていた麻弥のトーンが急激に下がった。
「そういうことか。郷本は深いよな」
「わかったかね」
「わかった。数字、圧倒的に違うもんな。冗談抜きでアート一人のほうが舞姫全員よりグッズとか出てる。特にアメリカからの引き合いがすごい」
「ふうん」
詳細な数字は知らぬ孝子なので適当に流しておく。
「まあ、そういうわけだよ」
「うん。私は聞かなかった」
黙認が成されたようだ。
「お。もっと食い下がってくると思ったけど」
「いや。郷本の考えだし」
孝子をカリスマと見なす尋道は、そのカリスマに対して、苦言、忠言の類いを呈する行為を、無用と決め付けている。本音としては、舞姫の応援に行ってしかるべき、と思うが、ここは深い男の意向を尊重する、そうな。
「いい兆候。順調にカリス・マヤ化してるな」
「それは、やめろ」
カリス・マヤは、カラーズにあって保守派の麻弥に、一皮むけてほしい、と付けられたあおりだ。ただ、本人は、あまり気に入っていない様子である。
「よし。無駄話はやめて剣崎さんのお手伝いをしようか」
「手伝ってくれるの? てっきり、そのまましゃべくってると思ってた」
いつの間にかサービスカーの荷室にいた剣崎がくさしてきた。建物の養生が終わり、荷物の搬入に移るタイミングであった。
「すみません! お手伝いします!」
青くなった麻弥がバッグドアからサービスカーに飛び乗った。直後の悲鳴は荷室で滑って、尻もちを突いたことによる。
「おら。いちゃつくんじゃねえ」
罵声は、抱え起こされた側と抱え起こした側の、双方に向けられたものだ。
「なんだよ。うらやましいのか」
当然、憎まれ口が返ってくる。
「言ってろ」
唾を吐くまねをして、孝子はバックドアを閉めにかかった。
「やめろ!」
攻防が始まった。そんなことをやっていれば、しまいにはあきれ果てた剣崎から二人が追いやられるのは自明といえた。青を通り過ぎて白くなった親友の顔色に、孝子は笑いが止まらない。なんとも性根の悪い女だった。




