第五九一話 スイートホーム(二三)
昼休憩に入り、人気のなくなったオフィスに孝子と尋道はいる。この二人、昼食を抜くので、食堂に向かう必要がない。
「思ったんだけど、今日は、荷物、適当に置くだけにしようかな」
時間つぶしは、当然、引っ越しにまつわるものとなる。
「ほう」
「剣崎さんに、部屋の仕様を聞いた後に配置を決めようかな、って思って」
「なるほど」
「家具の移動を手伝ってもらってもいいかな?」
「わかりました。あまり大きな荷物はお持ちになられていないようですし、なんとかなるでしょう」
「ありがとう。何か、おごるよ」
「では、栄養ドリンクでも」
さらに、栄養ドリンクの銘柄は何がよいか、銘柄を気にしたことがないのでわからない、などとたわいない
会話が続いていたところへ、
「あ。お姉ちゃん」
静だった。午前の練習を終えての帰りしなだろう。
「引っ越し、今から?」
近づいてきた静は孝子の隣の席に着く。
「いや。だいぶ先。この人の手際がよすぎて、時間が余っちゃって」
「お昼は、どうしたの?」
「この組み合わせは、燃費がよいのだよ」
「でも、食べたほうが」
「他人の生理的な事情にとやかく言うな。失せろ」
ほうほうの体で静が退散した後のオフィスに顔を見せたのは、春菜を先頭に、美鈴、佳世、アーティの四人だった。佳世から孝子の来訪を聞き付けて、やってきたのだ。
「タカコ。いよいよお引っ越しか」
「そうだよ、ミス。待ちに待ったよ」
日本語を解さないアーティがいることで、場のコミュニケーション手段は英会話へと移る。
「ミス・ミサキが建てたんだし、豪快な家なんだろうなあ」
「豪快だよ。最初に間取りを見た時、寮か何かかと思ったもの。突き詰めたら、こうなる。家の中でくねくね動く必要はない、っておっしゃって」
「いいなあ! ミス・ミサキ、好きだぞ! タカコ。招待して」
「いいよ。いっそ、住む? 空き部屋ができちゃってね。もちろん、たっぷり家賃は取るけど」
「おお! 行くぞ!」
波長の合う孝子と美鈴だ。あっという間の決定、と思われたところに横やりが入った。
「ケイティー。待ちなさい。家賃なら負けないわよ」
アーティの表明である。
「じゃあ、競売だな」
「待て! 競売なんかやられたら、私が負けるに決まってるだろ!」
「ミス。いいですか」
傍らで、尋道が動いた。
「相部屋でも構いませんか?」
「お。別に構わないぞ。誰だ。ハルナか。カヨか」
「嫌です」
「え……」
「安心してください。あなたたちに頼もうとは、はなから考えてません」
顔を引きつらせた春菜と佳世に、カラーズの策士の一撃が入った。
「失礼。電話を。――あ。先ほどは、どうも。めったなことでは掛けない、みたいに言っておいて、この始末ですが」
取り出したスマートフォンで、尋道が電話をかけた相手は那美のようだ。電話をかけるのかけないの、という会話に覚えがあった。
「早速なんですが、相部屋って、お願いしてもいいですかね? 市井さんです。家賃ならぬ部屋賃、あなたが懐に入れていいですよ。今夜にでも、ご案内しますので、詳しい話は、その時にでも。では」
会話を終えた尋道が美鈴に向き直る。
「ミス・ナミです。部屋賃、あの方に払ってください。今夜、練習が終わった後にご案内しますので、金額は、その際にでも」
「いいぞう」
「以上です」
「うん。やっちゃったねえ」
尋道にうなずいてみせつつ、孝子は春菜と佳世に視線を送った。
「この人が二人の性質を把握してないはずもないのに。株、暴落だ」
「神宮寺さん。高値が付いていないものに暴落は起こらないんですよ」
そもそも買っていないので、春菜と佳世の人となりについての評価が、これ以上、落ちることはない、という言い回しになる。この切れ味が、たまらないではないか。莞爾として孝子は、尋道の寸評を是としたのであった。




