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未知標  作者: 一族
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第五八三話 スイートホーム(一五)

「本家」引き渡しの前日になる。孝子は北区双葉の「双葉の塔の家」に向かっていた。神宮寺家の長老、成美に招かれた。引っ越しそばではないが、昼に、一緒に手繰ろう、というのだ。近場にうまい店があるとか。到着後は徒歩で店に向かう予定となっている。

 御前にまかり出ると、成美は古希を過ぎてなお若々しい顔に、柔和な笑みを浮かべて迎えてくれた。隣の博も健在そうで何よりだった。美咲の不在は医院の診療時間との兼ね合いか。と、この時の孝子は思っていた。

「まずは、お上がり」

「はい」

 成美手ずからの茶を飲む。甘みの強い、上等な茶だ。

「急に呼び出して悪かった。この年になって、そばにはまってね。おいしいお店を見つけたんで、ちょっと孝子にもごちそうしたくなったんだ」

「ありがとうございます」

「ただ、どうしようか。ここのところの寒さはひどい。これで三月か」

 次いで出たのは、ここ数日の寒気に対するうらみである。

「見てごらん。今日も、どんよりとして」

「双葉の塔の家」の七階、LDKからの眺望が示された。確かに、薄曇りで、ぱっとせぬ。寒さに弱く、また、食には、それほどこだわりのない孝子なので、中止なら中止でも構わなかった。ただ、せっかくの招待、機会という気もする。

「成美大おばさまさえよろしければ、私、おそば、いただきたいです」

「そう。じゃあ、肩を寄せ合って行こうか」

「双葉の塔の家」を出た三人は、ひとかたまりとなって歩く。

「おじいさま。こちらにいらして、ファッションを変えられました?」

 ブルーのジャケットにピンクホワイトのシャツ、デニムパンツといった、およそ覚えのない組み合わせについて孝子は問いを発していた。

「うん。今まで、ほとんど出歩かなかったもので、ろくに服を持ってなくてね。成美さんに見立ててもらったんだ」

「義兄さん、グレーとネービーとブラウンのローテーションでやぼったくて。元がいいのに、もったいないったらありゃしない」 

 しゃんとした肢体をブラックのニットとパンツで包み、上にホワイトのジレを引っ掛けた成美が言う。こちらは正確に自分の強みを把握した、シャープな組み合わせといえた。

「はい。なんだか若返って見えます」

「だろう。で、せいぜい磨いてやる、なんてやっているうちに、こっちが楽しくなってきてね。義兄さんの迷惑も顧みずに、つるまないか、なんて誘っちゃって」

「迷惑なんて、とんでもない」

 博が首を横に振った。

「この辺りには五〇年近くも通い詰めていたのに、本当に何も知らなくてね」

「それは、義兄さんが研究室にこもってばかりだったからですよ。私は、暇を見つけて、ふらふら歩き回ってましたし」

 それぞれ舞浜大学医学部の教授と舞浜大学病院の医師だった二人だ。

「街歩きが、こんなに楽しいなんて。貴重な経験をさせてもらってますよ」

「なら、よかった。ただ、美咲には悪いことをした。せっかく義兄さんのため、って大枚をはたいたのに、肝心の義兄さんを取ってしまって」

 老父の介護まで見据えたバリアフリー住宅の建築を、という美咲の思い付きが「本家」建て替えの起点であった。

「押し付けて済まないが、孝子。美咲と仲よくやってあげて」

 孝子は察していた。この要請をしたかったがための、昼時の、美咲不在時の招待であったか。無論、否応は、ない。

「お任せください。でも、美咲おばさまも本望ではないでしょうか。『本家』の建て替えが呼び水になって、おじいさまがよりよい生活を送られるようになったわけですし」

「そうかねえ」

「そうですよ。出無精だった方が街歩きなんてされてるんですよ。思い返しますと、鶴ヶ丘のときのおじいさまって、いつもおうちにいらしたような」

「いらしたような、じゃなくて、いたね」

 苦笑交じりの声が聞こえた。

「でしょう。街歩き。健康的で、大変、よろしいと思います。おまけに成美大おばさまも心楽しくなられて。思いがけない一挙両得になったのかと」

「そんなものかねえ」

「はい。そんなものです」

「成美さん。ここは孝子に乗せられておきましょうよ」

「そうしますか」

 春風駘蕩の趣だった。このまま安らかに渡っていってほしくなる。誠に似つかわしく、また好ましい組み合わせを前にして、孝子は、そんなことを考えているのであった。

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