第五八二話 スイートホーム(一四)
前日に敢行したドッグラン巡りの副産物を配り回る最後に舞姫館を訪ねれば、意外の組み合わせに迎えられた。玄関前の尋道とロンドだ。孝子は一人と一匹のそばの駐車スペースに車をとめた。
「寒いのに、ご苦労なこった」
季節の移り変わりに揺り戻しが起こった感のある三月上旬の正午ごろの一幕である。
「熱烈にせがまれまして。噂には聞いていたんですが、ロン君、本当にあなたが近づいてくるのがわかるんですね」
尋道が抱えていたロンドを差し出しながら言う。
「さあ。那美ちゃんは、そう言ってるけど、私は見たことないんでね。いるの?」
ぬっと顔を近づけると、ロンドは顔を舞姫館に向けた。いる、らしい。
「ええ、九時過ぎに乗り込んでいらっしゃいましたよ」
「何をしに」
愛犬からの歓待を受けつつ、問う。
「あなた、もうすぐ大学の卒業式でしょう。お祝いをしたいそうですよ。あなただけが合格を信じてくれて、本当にうれしかった、と」
孝子は鼻を鳴らした。
「だいたいは、あの子の普段の言動のせいなんだよ。でも、あちらさま方も、自分が試験を受けたわけでもないのに、ひどい疑いようで。ちょっと腹が立ってね」
「そのあたりの心情は隠蔽して、乗っておきましょうよ」
「そうしようか。で、結局、あの子は、ここに何をしに来たの?」
「元手がないので、割のいいアルバイトを紹介してくれ、と」
「お調子者。そういうところが駄目なんだよ。まさか雇ったの?」
「今日に限り日給五万で雇用しました」
「そんな高給で何をやらせてるの」
「エンジェルスの公式サイトやらの和訳ですが」
あおむけに倒れそうなほどの勢いで孝子は天を仰いでいた。難関と名高い舞浜大学医学部医学科に、するりと受かるような那美が、和訳程度を持て余すはずがないのである。ぼろいアルバイトではないか。
「あきれた。甘やかして」
「確かに甘いとは思いますが、あながち、それだけでもなくて」
一つ、神宮寺三姉妹のうち、末妹だけが凡人ということはなかろう。先物買いの価値はある、と尋道はみたようだった。
一つ、響子に対して親近感を示すなど、那美は孝子に目を掛けられる要素を身に付けかかっている。また、彼女のボーイフレンドは奥村紳一郎だ。両庇護者の威光故に、むげな扱いは避けるべきとかなんとか。
「相変わらず、悪知恵が働く」
「あなたの妹さんも、なかなか有望ですよ。僕がロン君にめろめろらしい、とわざわざ、ここまで抱えてきたんですからね」
「本当に、何をやってるの。お前もおめおめ連れてこられてるんじゃないよ」
叱声もどこ吹く風で、ロンドは一心に孝子に甘えてくる。
「まあ、いいや。郷本君の眼力を買いましょうよ」
「ありがとうございます」
「ほい。持って。お土産がある」
ロンドを尋道に渡して、孝子は車へと戻った。取り出した荷物と共に、一人と一匹を引き連れて舞姫館に入る。カラーズ島では那美がノートパソコンに向かっていた。まずは義妹に構わず、孝子は持参の土産を舞姫島に持ち込んだ。手渡しついでの交流を終えたところで、初めて那美に相対する。
「殊勝」
近寄るなり孝子は那美の頭をわしづかみにした。
「それほどでもある」
「どんなお祝いをしてくれるのかね?」
「食べ物! ケイちゃんの興味ありそうなものっていったら、車か、音楽か、だけど、どっちとも私に買えそうな小物がないしね」
「食べ物なら魚介類が好き」
「知ってる!」
この上の詳細な指定は控えるべきだった。義妹の厚意に甘えさせてもらうとする。
「ぼちぼちお昼だけど、どうするの? いったん帰る?」
「いや。続ける」
「じゃあ、何か、買ってきてあげようか。それとも、休憩がてら、隣に食べに行く?」
舞姫館の隣地にあるサービスステーションには喫茶コーナーが儲けられている。
「買ってきてー。あそこ、わんわんは入れないだろうし」
飲食店だ。ペットの入店が断られる可能性は、極めて高かった。
「犬のご飯はあるの?」
「持ってきた」
那美は足元のトートバッグを示した。中にロンドの荷物が入れてあるのだろう。自分の食事の用意はなくとも、愛犬の分は忘れていないあたりに、この義妹の人となりが垣間見えてくるのである。そんな愛すべき存在には、せいぜい豪勢な昼食を馳走してやるとしよう。




