第五六四話 神宮寺孝子の肖像(一八)
幸い、孝子たちは二時間半の待ち時間を、完全に消化する羽目にはならなかった。一時間を少し過ぎたころになって、剣崎が麻弥とみさとと共に姿を見せたのだ。二人も早めに到着したようで、何よりといえた。
「ケイティー。トリニティの社内では、ここをカフェって呼ぶんだよ」
「言い訳を、するなー」
開口一番の釈明に孝子は鼻を鳴らした。
「なんです?」
「いやね、斎藤さん。ケイティーたち、少し早く着き過ぎたとかで連絡をもらって、じゃあ、うちのカフェで、って案内したんだけど」
「何が、カフェだ。自販機コーナーじゃないですか、って文句を垂れてやった」
「ははあ」
ここで麻弥が進み出てきた。
「郷本。おばさん、大丈夫だったの?」
「おかげさまで。すごく痛がってたので、折れたかな、と思ったんですが、捻挫でした。しかも、軽めの。人騒がせですよ」
「そう言うなよ。お大事に、って」
「ありがとうございます」
当初、みさとと同道してくる予定の尋道だったが、急な孝子の来襲を受けて、けがをした親の通院に付き合った体で後者と行動を共にしたのである。
「ふむ」
孝子は麻弥と尋道の顔を交互に見比べた。
「今、思い出した。麻弥ちゃん、緊迫してないね」
「ああ。シータか」
即座にみさとが動く。なんのことやら、の剣崎と関のために、事情を承知しているらしい彼女が説明役となったのだ。
「初めは、なんで、そんな指図されなくちゃいけないんだよ、って思ったけどな」
みさとの前説が終わるのを待って麻弥は、尋道に忠告された当時の心持ちを語り始めた。
「うちは重工系の企業なんだから重工製品をひいきにするべき、って最初に言い出したのは郷本じゃないか、って」
「この子ったら、仕事中に、ぶすっとしてて、鬼の副所長に見とがめられてるの。いやあ。締め上げられてたね」
みさとの補足に麻弥は首をすくめた。
「当たり前じゃない」
「それが、さ。仕事に集中してなかった以外の理由でも、怒られて。むしろ、そっちがメインだったな。何を、いらいらすることがある。全部、書いてあるでしょうが、って」
「うん。郷さんは神宮寺にカリスマ性を認めてる、って、うちの副所長は言うのさ」
これまでのカラーズの躍進を考えたとき、尋道の考えは正しいように思える。とすれば、この手のボスを頂く部下は、いかにあるべきか。ずばり、こうだ。そのカリスマの発揮を妨げてはならない。孝子が危ない橋を渡ろうとするなら、止めるのではなく、彼女のために橋の危険箇所を修繕せよ。補佐に徹するのである。これすなわち、カリスマ型と付き合っていく秘訣なり、と、副所長氏はのたまったとか。
「で、最後に、とどめを刺されて、正村、昇天よ」
「とどめ?」
「副所長ったら、言ったね。お前には、そんなわきまえたまねはできっこないから、カラーズに戻るのは諦めて、うちに就職しな、って」
「それでおとなしかったんだ」
「副所長、怖いんだよ。あれ以上、ぶつぶつ言ってたら、その場で書類、書かされそうだったし。嫌だよ。カラーズに帰りたいよ」
「だったら、副所長さんを見返さなきゃ」
「うん」
「郷本君。どうしたらいい、と思う? いい知恵はある?」
三人娘のやりとりを黙然と眺めていた尋道に孝子は話を振った。
「はあ」
しばしの思案顔の後に尋道は口を開いた。
「斎藤さんのお母さまがおっしゃったままを実践したらいいんじゃないですか?」
「具体的に」
尋道の視線が麻弥に向く。
「正村さん、さっき、真っ先に、うちの母親の心配をしてくださったでしょう。よく気が付く、優しい方なんですよ。なので、つい我慢できず、神宮寺さんに対して苦言、忠言を呈してしまいがちですが、それこそ、わきまえたまねから外れた行動なわけで」
カリスマには、苦言、忠言、無用の長物である。ただただ信じて仕える。それでいい。それだけでいい。至言であった。結局、割り切れるか否か、なのだ。孝子との交渉は。傍らでは麻弥が瞑目している。導き出された結論の実践は、お人好しの親友の手に余ろう。この話題が進展を見ることはあるまい。場を転換させるべきだった。いよいよ本題、ビル建て替えの報告会の始まりとなる。




