第五六三話 神宮寺孝子の肖像(一七)
案内されたのは、地上三階の陽光あふれる一区画だ。休日だけあって無人である。窓際に立って、暖かい、などと孝子、上機嫌だったが、長続きしない。片隅に立ち並ぶ自動販売機を見たためだった。
「ここ、ただの自販機コーナーじゃないですか」
「そうともいいます」
詰め寄られて、案内役の若いエンジニアは苦笑を浮かべた。
「そうとしかいえないでしょう。あのおっさん、料亭ぐらい用意しておけばいいものを。私に含むところがあるな。やっぱり縁を切る、って伝えておいてください」
「わかりました。脅しておきます」
エンジニアが去った後に孝子は隣の尋道を見た。
「どうする? まだ三時間近くあるよ」
「取りあえず、窓際に椅子を動かして、ひなたぼっことしゃれ込みましょう」
並んで座った二人は、しばし無言だ。眼下では片側二車線が上下とも詰まっている。人々の動きが活発化してきているのである。そのうち、どちらからともなく大あくびが出た。ぽかぽかとした日差しにやられたようだった。
「眠い。寝る」
「転がり落ちないでくださいよ」
「心配ならもたれ掛からせておくれ」
「お断りします」
けち、意地悪、と孝子は悪口雑言を見舞い、そっぽを向いた。そのまま腕組みをして寝入る。
後に聞けば睡眠時間は三〇分ほどだったそうだ。関の来訪が尋道によって告げられたことで、孝子の眠りは中断された。
「終わったんですか?」
まぶたをこすりながら関に問う。
「なんとか。何かいる?」
椅子を取りに動くついで、と関は自動販売機群のほうに向かっている。
「小じゃれたやつ」
「なんだい、そりゃ。尋道君は?」
「行きますよ」
尋道が席を立ったので、孝子も続く。
「アイスの自販機、あります?」
「あるね」
「じゃあ、アイスにする。寒くなって、全然、食べてなくて。数カ月ぶり」
「面白いね」
いい年をした三人が並んでアイスクリームを食べる、という図の完成である。
「剣崎さんは?」
「ぎりぎりまで作業するって」
「仕事のある剣崎さんが、今はうらやましいかも。私たち、あと二時間半、どうやって過ごします? アイス、追加?」
「そんなに食べたら体が冷えるよ。そうだ。ケイティーに相談があるんだけど」
「有料。うそ。なんですか?」
「この前の、岩城さんのライブで歌った『週末の騎士』って歌があるでしょう。あの歌を、俺にくれないかな?」
なじみの喫茶「まひかぜ」の老マスター、岩城の隠棲に当たって開催した送別ライブ中の一曲が、唐突に出てきた。
「歌いたいんですか?」
「うん。六月にサッカーの世界選手権があるじゃない?」
知らない。視線を送ると尋道の補足が入った。
「あります。イギリスで、六月から七月にかけて」
「それのテーマ曲のコンペがあるんだ。公社の。ボーカリストとして、挑戦したい、と思って」
「挑戦なら、曲も自作で挑んだらどうですか」
「締め切りまでに思い付きそうにない。それに、『週末の騎士』って、サッカーがモチーフの曲でしょう? 巡り合わせのような気がするんだよ」
「いや。気のせい。勘違い」
「まあ、いいんじゃないですか。カラーズにしてみても関係者が参加する予定の大会ですし」
「誰か選ばれそうなの?」
そそらぬ話題は直ちに忘れ去る孝子なので、初耳か否か定かでなかったが、カラーズの擁する奥村紳一郎、佐伯達也、伊央健翔らはサッカー日本代表チームの主力中の主力という。とすれば、サッカー世界選手権は、カラーズにとって無関係の一事とはいえないわけだ。いいだろう。ソングライターの出番は既に終わっていることであるし、歌いたければ勝手に歌うがいい。間違って当たれば儲け物ぐらいの心持ちで見守ってやる。




