第五六一話 神宮寺孝子の肖像(一五)
報告会の当日となった。孝子が予告もなしで郷本家の門前に乗り付けたのは、午前七時ちょうどだ。早朝である。おまけに寒い。どちらが主で、どちらが従なのかは微妙なところであったが、ドアホンを鳴らすことは忌避して電話をかけた。
やがて尋道が出てきた。ジャンパーのポケットに手を突っ込み、背中を丸めた姿は、しょぼしょぼと生気がない。出迎える気はないので、車内から助手席を示す。
「おはよう」
「おはようございます。で、何事ですか」
助手席に乗り込んできた尋道は渋い顔、声だ。身だしなみを整えて出てきたあたり、読んでいるくせに、と思う。
「よくよく考えたら、私だけで行くのもつまらないじゃない。マネも巻き添えにしてやろうと思って。行くよ」
「前もって言っておいていただけませんか。斎藤さんが、乗せていってくれる、とおっしゃるので、お願いしてあったんですがね」
尋道が言ったのは過去形だ。
「ええ。キャンセルしましたよ。ついさっき。僕は、親を通院させてから、って理由にしてありますので、話を合わせてくださいね」
「親をだしに使って」
「災難以外に、この時間帯で発生する不自然でない理由があるなら、ご教示いただきたいですね」
じろりとやられた。失言だった。
「ごめんなさい」
「いえ。それにしても、寒いですね。せめて一時間、遅い開始にするんでした」
「うん。よく晴れる、って予報だったし、もう少し遅かったら、だいぶ違っただろうね」
「寒いのは嫌いです。早く春になってほしいですよ」
「何が立春だよ、って思うよね」
「本当に」
時候のあいさつも途切れたところで車を発進させる。
「僕たちには関係ないんですが、途中の暇つぶしに、剣崎さんと関さんが『花咲人』を、どう売っていくつもりか、語ってもいいですか」
車が流れに乗ったころだ。尋道が会話を再開させた。
「うん」
「神宮寺さんは、ドラマとか見ます?」
「見ない」
「では、当然、四月から始まるドラマなんて、チェックしてないですね」
「してないねえ」
『ひとりひとりのふたり』という、くだんのドラマの劇伴を剣崎が担当していたことが、今回の発端であった。
「四月、って、すぐじゃないの。剣崎さん、そんな無茶ができるような大物だったの?」
孝子の言った無茶の内容は、既に撮影が開始していた一作に『花咲人』をねじ込んだ挙を指す。
「日本で初めて『ワールド・レコード・アワード』四大賞典の一つを取った人ですよ。相当な権威だ。それを言ったら、あなたもそうなんですが」
岡宮鏡子の孝子と剣崎龍雅は、アーティ・ミューアと組んだ『FLOAT』で、それぞれソングライターとプロデューサーとして、「ワールド・レコード・アワード」の「最優秀楽曲賞」を受賞している。
「私のことは、どうでもいい。で、もしかして、剣崎さんが忙しいのって、それ?」
「も、一つの理由です」
「となると、私にも責めがあるのかな」
否。そこそこ名の通った曲にしろ、とは言ったが、具体的な方策を示したわけではなかった。全責任は選択した剣崎に帰するのである。そう孝子は断じた。よって、『花咲人』については、ここまでだ。本日のメインイベントとなる、ビル建て替えの報告会に話は一っ飛びする。
「さあ。あの女。どんなビルにするつもりかな?」
「地上五階地下一階が、ごく初期に伺った構想でしたね。その後、どうなったのか」
「一〇階建てぐらいになってるかも」
「あの狭い土地に一〇階だと、ほとんど塔ですね」
カラーズが取得した舞浜駅西口の土地は、三〇坪弱の狭小地だ。一〇階建てともなれば、地上高は三〇メートルほどか。確かに、塔、である。
「難しいかな。一階に駐車場が欲しいけど、狭くてどうだろう、みたいになってたじゃない? ビルを上に伸ばして、下に立体駐車場を入れたら、なんて思い付いたんだけど」
大胆な予想を、孝子は言ってみた。
「なるほど。実現すれば、神宮寺さん、剣崎さん、関さんの分だけでなく、社用車なんかも置けますね。可能なら、斎藤さん、動いてそうですよ」
みさとを読み切れるか、という他愛のない勝負は、意外に白熱して、目的地までの道中、絶えることなく続いたのである。孝子にしては平和な時間の使い方ではないか。さて。結果は、どうなるやら。




