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未知標  作者: 一族
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第五五九話 神宮寺孝子の肖像(一三)

 一件を、孝子が忘却するのは早かった。関は何もできない、と高をくくっているので、当たり前といえば当たり前である。マネジメント担当となる尋道にも報告していない。忘れ去っているので、当たり前といえば当たり前ではある。

 一週間余りが過ぎた一月の末日だ。夕方、舞姫館を訪れると、この時間には珍しく、尋道がオフィスにいた。

「いらっしゃい」

 じろりときた。心当たりはなかったが、自分に関すること、と孝子は直感した。はて。何か、やらかしただろうか、と思案しつつ、コーヒーメーカーの前に立つ。

「今日は、浄君は?」

 肩越しに問うた。様子見だ。

「おばさんにお願いしましたよ」

「そう。で、何かね」

「関さん、音を取って、曲を完成させましたよ」

 完全に失念していたので、記憶の復元には時間がかかった。

「え。あれ、覚えてたの!?」

「かわそうとしたんでしょうけど、失敗しましたね。もう駄目ですよ。付き合っていただきます」

 コーヒーカップを携え、自席に戻るまで、孝子は無言だった。

「あの人、本当に覚えてたの? 駄目だあ、みたいな感じだったけど」

「今夜、いらっしゃいますので、直接、お伺いになってください」

 在館は、孝子を逃さぬため、だったらしい。

「あの暇人が。ああ。もう帰ろうかな」

「自業自得です。観念してください」

「こんなときこそマネの出番でしょう」

「以前、一人で先方と交渉するようなまねはやめてください、とお願いしたら、必ずマネージャーを通す、と約束してくれましたよね」

「記憶にない。けど、君が、そう言うからには言ったんだろうね。ごめんなさい」

 尋道は嘆息だ。

「あの人も、曲がないならないで、その旨を伝えてくれたらよかったのに。でも、約束は約束です。関さんを待ちましょう」

 頬を膨らませていると、今度は、失笑された。

「完成したのなら、あなたの出番は終わってるわけですし。試聴して感想を言うぐらい、我慢してください」

「仕方ないなあ」

 関が舞姫館に到着したのは、午後七時になんなんとするころだ。ギターケースを肩に掛けての登場である。

「お待たせ!」

「少しでも私が弾いた曲と違ったら失格ね」

 開口一番、孝子のあいさつだった。

「ええー。もう一度は弾けない、って言ってたじゃない。覚えてないでしょう?」

「今、思い出した」

「ふざけてないで、早く聴かせていただきましょう」

 尋道に一蹴されて、渋々と孝子は立ち上がった。向かうのは体育館棟のトレーニングルームだ。

 体育館では練習を終えた舞姫たちが談笑していた。ロケッツのチアリーダーたちも何人か交ざっている。そういえば、先ほど、来館した彼女たちの姿を孝子も見ていた。間もなく歌舞のレッスンが始まるのだ。

「お。本当に関さんいた。久しぶりにレッスンを見てくれるんか?」

「いや。今日は、別件。レッスン、頑張って」

 寄ってきた美鈴と会話する関の傍らを擦り抜けて、孝子と尋道はトレーニングルームに入った。一分ほど遅れて関も来る。なお、その寸暇で孝子は怒り心頭となっている。

「人を待たせるな」

「ああ。ごめん。ちょっと来た理由を説明してて」

「必要ない」

「この人との付き合いは、この人の天才を認めるか、どうか、なんですよ。ちなみに天才は、一般的に性格に難がある場合が多いので、付いていけないようなら敬遠したほうがいいでしょう」

「けんか売ってるの?」

 攻防に、関が噴き出した。

「わかった。ケイティー、俺が悪かったよ。気を取り直して、聴いてくれる?」

 関はギターケースからスコアを取り出した。

「というか、参加して。尋道君も」

「参加?」

「僕はスコア、読めませんので」

 尋道が一歩引く様子を視界の端に置きながら、孝子は受け取ったスコアに目を落とした。楽曲には『花咲人(はなさかびと)』と名付けられていた。愛し合う二人が、互いに花吹雪を振らせるさまを思い描いた上での命名か。メインボーカルとバッキングボーカルがAメロとBメロで入れ替わる構成も、この説を助長しているようだった。軽妙洒脱で、なかなかによい。

「関さん。いいじゃないですか。あ。私のおかげか」

「あんなつれないことをしておいて、よく言うね」

「うるせえ。早速、歌うぞ」

 二回、歌った。一回目は関がメインで孝子はバッキング。二回目は逆の役回りだ。

「デュエットなんですねえ」

 拍手の後に尋道は言う。異論ありありの語尾は、なんだ。

「披露宴で、ご両人に歌っていただくんですか? そうでないなら、神宮寺さんのパートナーは? そもそも、『花咲人』を世に問う際のパートナーは誰なんです? ソングライター、岡宮鏡子が表舞台に立たないことは、関さん、剣崎さんからお聞きだったとばかり思っていましたが」

 そうだった。自分はソングライターだった。『花咲人』の出来栄えに感心するあまり、大前提を忘れかけていた。穴だらけではないか。関のばかたれが。

 なまじ気に入っていただけに業腹だ。孝子は席を立った。トレーニングルームの外にたむろしていて、邪魔だ、失せろ、と八つ当たりを食らった静以下は、間が悪かった、としか言いようがない。

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