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未知標  作者: 一族
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第五五五話 神宮寺孝子の肖像(九)

 結論から述べれば、孝子はナジコ・シータを買う、と決めた。松波正治は虚言家などではなく、ウインドルーフとやらは抜群の効果を示した。オープン状態であっても全く寒気は車内に入り込んでこなかった。つまり、車内の暖気も外に出ていかない。上着いらずの一言は真実だったのだ。懸念さえ取り除かれれば、風光を感じながらのドライブは爽快の一言に尽きた。現在の愛車のきびきびした乗り味と比べると、おおらかなシータのそれも、好印象だった。デザインド・バイ・恩師の婚約者、というひいきする理由もあった。買うしかないではないか。

 そして、もう一点、である。

「正治さんは、お車、どちらで買われたんですか?」

 ドライブの帰途に孝子は問うた。

「やっぱり、会社から?」

「ええ。ただ、会社といっても、直営のディーラーになりますが。本社の門前に、あるんですよ。そこで買いましたね」

「そちら、紹介してくださいな」

「紹介、ですか?」

 けげんな声もはっきりと聞こえる。シータはオープン時の遮音性能にも優れているようだった。ますます気に入った。

「この車、買います」

「は!?」

 色を失った同乗者に活を入れ、孝子はナジコのディーラーへと案内させた。

「神宮寺さん」

 ナジコ株式会社本社門前のディーラーで商談室に収まった二人が、担当営業の到着を待つ時だった。

「はい」

「その、実は」

 正治氏、言いかけて、止まった。なぜか、げんなりとしている。

「なんでしょう」

「シータ、結構、するんですよ」

「いくらですか」

「ワンプライスで販売させていただいてまして。たとえ当社の社長であっても、値引きはできない決まりになってるんです」

「だから。いくらですか」

 正治は目を閉じた。

「二〇〇〇」

 分不相応な買い物を望む世間知らずの小娘に、非情な現実を告げなくてはならない心労故の、さえない面であったか。だが、孝子とて愚物ではない。この手の嗜好品が高価であることぐらい予想が付いていた。幸い、孝子には岡宮鏡子の名で稼いだあぶく銭がある。二〇〇〇とな。上等だ。

「正治さん。私、社長です。何億とかでもない限り、キャッシュで買えます。正治さんがデザインした車、買いますよ。青はありますか。私、青が好きなんです」

 さすがに岡宮鏡子の名は出さず、カラーズCEOの立場を隠れみのとした。有力なアスリートを抱えるなど、それなりに世の耳目を引いているカラーズ合同会社だ。説得力は発揮され、正治は素直にシャッポを脱いでみせた。

「そうでした。神宮寺さんは社長さんだ。これは、お見それしました。青。ございますよ。アツーアという、深い青の設定があります」

 得心顔に、再度の懸念が差したのは、一瞬の後だ。

「神宮寺さん」

「今度はなんですか」

「お買い上げは舞浜でなくて、こちらで、よろしいので?」

 耐久消費財においては、購入時より、むしろ、購入後をこそ重視すべき、と正治は言った。価格面での優遇を享受できない以上は、アフターサービスの利便を考えて、地元での購入を勧めたいが、というわけだった。

 にやりと孝子は笑った。

「問題ありません。こちらで買います。そうだ。正治さん。お許しをいただくのを忘れてました。アフターサービスといえば、車って、半年ごとに点検があるじゃないですか」

「ええ。ディーラー点検と法定点検ですね」

「その時には押し掛けますので、接待してほしいんですけど」

 一見すると厚かましい要求に隠された孝子の思惑は、しかし、正確に伝わったようだ。これこそが、もう一点、であった。染み入るような笑みを正治は浮かべている。

「それは、いい。歓迎しますよ。美馬さんも、きっと喜ぶ」

 翌早朝、孝子は那古野をたった。見送る長沢の顔には、衝動買いをしてのけた教え子に対する微苦笑が浮かんでいたことである。

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