表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未知標  作者: 一族
554/748

第五五三話 神宮寺孝子の肖像(七)

 薄目を開けたざまは、ほとんどしかばねだ。孝子は倒れ伏していた。実家の居間で、もう三〇分も身動きせぬ。疲れ果てていた。ただし、神奈川県舞浜市から福岡県春谷市までの道程を、ロンドの世話をしながら丸二日かけて走破した疲労ではない。精神的なやつになる。

 実家への到着と同時に、出迎えの倫世の母が口にした、舞浜へ一報を入れよ、の一言は孝子の精根を一瞬で枯渇させた。考えてみれば、恩師を抑えていたぐらいの養母である。隣家の幼なじみ宅に手が回っているのは当然といえた。くどい。くどい。自分の行動に、なんら落ち度はない、と確信している孝子なので、養母の周到なやり口は、ありがた迷惑でしかない。まさしく、ほっとけ、だ。いっそ、このまま居座ってやろうか。

 もう何度目か、という舌打ちの直後だった。視界の端から、ぬっとロンドが表れた。鼻先で孝子の頬をつついてくる。昼飯の催促だろう。そろそろころ合いである。

「勝手に食べろ」

 無理難題を言った、とわかっているので起き上がった。次の瞬間に来客だ。玄関のすりガラスに映っているのは倫世の母の姿だった。もしかしたらロンドは、これを伝えようとしていたのかもしれなかった。

「たむママ。何か、ご用?」

 引き戸を開けて顔を出した。

「おう。復活したか」

「まあね」

「郷本君から電話。連絡くれ、って」

 殺到する着信を嫌って、スマートフォンの電源は落としていた。そのため尋道は倫世の母に伝言を依頼したのだろう。不必要な連絡をしてくる男ではない。何事かが出来したのだ。

「ありがとう。たむママ」

「うん」

 用件は済んだはずだが倫世の母は動かない。正しく娘に受け継がれた鋭角的な顎をなでている。

「積悪の報いだな。猫をかぶるのも、ほどほどにしろ、ってこった」

 生まれつきの性分を隠し、慎ましやかに生きてきたせいで、たかだか一〇〇〇キロ余のドライブごときで騒がれる、という倫世の母の言であった。かの烈母と長くつるんできた人だ。言うことが過激である。

「たむママ。こっちのままの私だったら、多分、捨てられてたよ」

「それは、違いない」

 大笑を残して倫世の母は去った。見送った後はロンドの昼食を準備し、もりもり食べる様子を眺めながら、尋道に電話をかける。

「お疲れさまです」

「お疲れ。ご用は、なあに?」

 尋道は、現在、静の付き添いで神宮寺医院に来ている、という。確かに、何事かが出来、していた。

「静ちゃん、何かあったの?」

「お宅で大立ち回りを演じたようで」

「誰と」

「主に、おばさんだそうです。お姉ちゃんを放っておいてあげて、と説得しようとして」

「勝てるわけない」

「ええ。なので、大声を出して押し切った、と。で、静さん、喉がかれてしまいまして。あまりにひどい声だったので、受診していただきました」

「そう」

 終わった、と思った。養家の平穏を乱したとあっては、もう降参するしかない。

 舌打ちだった。おとなしい義妹が、よくもやってのけたもの、とは思う。思う、が。元はといえば、連中が必要以上に、こちらに構い付けたのが悪いのだ。そして、その連中には、義妹も含まれていたのである。余計なことしかしない。

「すみません」

「え?」

「どうやら、僕のせいらしいんですよ」

 尋道の表明した一〇〇パーセントの支持とやらが、静を動揺させた、とか。

「何。一〇〇パーセントって」

「今回の件について、あなたがどのような決断を下そうとも、支持する、ってだけです」

「具体的に」

「怒り狂って、福岡に帰る、とおっしゃっても、です」

「ああ。ちょっと考えた」

「やはり」

「でも、やめておくよ。愚妹の顔を立ててあげないとね」

「はい」

「戻りまーす」

「わかりました。お気を付けて」

 通話は終わった。淡々とした声が快く耳に残る。あの男は、とんぼ返りにも動じない。皆が皆、こうであってくれればいいのだが、とかなわぬ願いはそこそこに、孝子はぴょんと跳ね起きた。土産をそろえに出る。出発は今日中だ。決めたからには、即、行動に移す。孝子の流儀だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ