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未知標  作者: 一族
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第五五〇話 神宮寺孝子の肖像(四)

 那古野女学院そばの松波宅前に孝子が乗り付けたのは、午後六時になんなんとするころであった。午前一一時に舞浜を出発して那古野着が七時間後とは、少しかかり過ぎているようだが、これにはれっきとした理由があった。犬の身に長時間の走行はつらかろう、とロンドのために休憩所のことごとくを制覇してきたのがたたったのだ。仕方ない。

 車から降りた孝子は総二階建ての前に立った。暗がりの中のことで、外壁の色など詳細はわからなかったが、なかなかの構えといえた。松波家は財産家らしい。本人は一流企業に勤め、実家は、これとは。先生、いいのを引っ掛けた、と悪たれをたたきながらドアホンに手を伸ばすと、指先がボタンに触れるよりも先に玄関戸が開き、長沢が顔を見せた。孝子の到着を、今や遅しと待ち構えていてくれたようであった。

「お疲れさん。随分、かかったな」

「SA、PA、全部に寄りました」

「ああ。お犬と一緒なんだっけ。どこにいるの。抱っこさせろ」

「はい」

 助手席のペットシートからロンドを取り上げ、長沢に渡す。

「お。ちっちゃいな。かわいいな」

「元は、小早川もっさんの犬ですよ」

「どうしてお前のところに?」

「あの人、就職したら、取材で家を空けることが多くなるのがわかってるのに、この子を買っちゃって。で、同居のおじさまは、犬が嫌い、という」

 スポーツキャスター、小早川基佳氏の失態をつまびらかにする孝子だった。

「それで、お前が?」

「はい。懐かれてるみたいでしたし、まあ、いいか、と」

「お優しいことで」

「聖人君子で通ってますし」

「言ってろ」

 顔を見合わせての失笑である。

「先生。お犬、玄関でいいので、置いてやってください」

「いいよ。上げなさいって。車、そこ入れて」

 長沢は玄関横の駐車スペースを示した。縦列の奥に見える黒っぽい車体は正治の車という。

「大きな車。やっぱりナジコなんですよね?」

「そりゃあなあ。あの車、正治さんがデザインに関わってるんだって」

「へえ。正治さんはデザインの人なんですね」

 車を置いて玄関をくぐると、松波家の人たちが勢ぞろいしての出迎えだ。松波と夫人、正治の三人である。小兵の松波に対して、夫人は大兵とまではいかないが、平均以上の体格といえた。長身の正治は母親似か、と内心で考えつつ、あいさつを交わしていると、長沢の一言が耳に入ってきた。

「そうだ。孝子。晩の前に、おうちに連絡しときな」

 神宮寺家の人たちに、恩師を訪ねて那古野に立ち寄る、とは告げなかった孝子だ。承知しているのは郷本尋道だけである。ただ、あの男に限って漏えいは考えられなかった。

「先生。私がお邪魔する、って静ちゃんに言ったんですか?」

 孝子は問うた。

「いいや。お前のお母さんから電話があった」

 養母か。

「もし立ち寄るようなら、連絡をするよう言ってくれ、って。で、来る予定ですし、いいですよ、って返したんだけど」

 いい読みだった。同時に、余計なお世話でもあった。血潮の突沸を孝子は感じた。すると心得たもので、長沢の腕の中から抜け出したロンドが孝子目掛けて飛翔してきた。

「先生。今のお話、私は伺いませんでした。失礼します」

 見事にキャッチしたロンドを抱え上げ、孝子は宣言する。

「え? いきなり、どうした?」

 きびすを返した孝子に長沢が追いすがってきた。

「故郷に帰るのに、なんで、こうも、ごちゃごちゃ言われなくちゃいけないんですか! 何か私は悪いことをしてるんですか!? ほっとけ!」

 振り向きざまにほえた。おそらく事情を知らぬであろう恩師に当たったところで、詮ないこととはわかっている。が、灼熱した孝子は、つい衝動を抑えきれなかった。

 突進の速度で外に出た。車に戻ると、ロンドは助手席のペットシートへと自ら収まりに行く。主従の呼吸は、あうん、だった。かくして準備は万端となり、孝子の愛車、ワタナベ・ウェスタは本日二度目の急発進である。

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