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未知標  作者: 一族
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第五四話 姉妹(七)

 翌朝、孝子と麻弥は舞浜市北区の舞浜大学病院を訪れた。入院している静の見舞いである。入院している、とはいうものの検査の結果は良好で、退院は本日予定だ。

 春菜と、昨夜は海の見える丘に泊まった彰は、各務の荷物を大学に届ける、という名目で、二人とは行動を別にしていた。誘っても、二人は腰を低くして、遠慮、遠慮、であった。

「麻弥ちゃんが余計なことを言ったせいで、二人とも恐縮しちゃったじゃない」

 せめて、と二人と各務の荷物を舞浜大学千鶴キャンパスまで送り届けた後、舞浜大学病院に向かうウェスタの車内で孝子のせりふだ。

「あのままだと、お前が不気味な女みたいだったし」

 運転席の麻弥が、鼻で笑いながら答える。

「いいの。私が何を考えてるかなんて、本当に近しい人だけ知ってればいい」

「気を付けよう」

「うん。でも、ありがとう」

「どういたしまして」

 昨日は、帰宅後に休憩を挟んでの買い出し、夕食であった。昼食は豪勢な夕食のために、途中のコンビニで買った軽食で済ませている。

 しかし、せっかく大量に買い込んだ一〇〇グラム一〇〇〇円クラスの牛肉を、春菜も彰も、一向に楽しむ様子がない。孝子と麻弥の箸だけがせわしない。当然、ではある。大事はなかろう、との予想はあっても、静の容態は不明だ。また、実姉たる孝子が、病院に行かず、鍋をつついていることへの不審、という誤解もあった。

「……お前たちは、孝子がどれだけおばさんや美咲さんのことを信頼しているか知らないんで、そういう顔になるんだ。あの二人に託した時点で、孝子はもう、一つも心配してないんだ」

 程よく湯をくぐらせた肉を、箸先につまんだまま、麻弥が言った。だが、言われた二人の反応は鈍い。

「それと、北崎が知らないのはいいとして、雪吹も知らなかったか? 知ってたら、孝子がここにいる理由だって、わかるだろうに」

「何を、ですか……?」

「孝子は神宮寺さんの養女。義理の妹のために、コートに突っ込んだり、無理やりにでも検査を受けさせるために連れて帰ることはできても、家族だけ面会の場とかには行かないの」

 驚愕の見本が、二つ、出来上がった。

「もちろん、神宮寺さんは全員、孝子のことを本当の家族だと思ってるよ。思ってるけど、それに甘える孝子じゃない」

 ここで麻弥は、つまんだままだった肉を、とんすいのポン酢しょうゆに付け、口に運ぶ。そして、そしゃくの後、再び口を開いて、断定的に言った。

「わかったか。わからないなら、あっちに行け。しけた面して。飯がまずくなる。私たちの後で食べろ」

「……せっかくのお鍋ですよ。みんなで楽しくいただかないと」

「僕もいただきます」

 満面に感動をあらわに、春菜と彰が箸を動かしだした。勢いは、その時点までの肉の消費量の、実に七割超を占めていた麻弥が、あっという間に第三位に転落したほどだった。

 静が入院しているのは、舞浜大学病院入院棟の最上階、一〇階の個室だった。「1002 神宮寺 静 様」のプレートを確認し、扉をノックする。顔を出したのは那美だ。

「静お姉ちゃん。孝子お姉ちゃんと麻弥さんだよー」

 那美に続いて室内に入りながら、麻弥はひそやかな動揺を顔に出さぬよう努めている。隣の孝子も同じだろう。緊急事態だった昨日を経て、今日も那美がいるのだ。

 二人を迎えた静は、昨日と同じラベンダーのワンピースを着て、直立不動である。硬い表情は、仲の良好ではない妹がそばにいる、こととは無関係だった。

「お姉ちゃん、昨日はごめんなさい。私のためを思ってしてくれたのに、私、ふてくされて……」

「いいよ」

 深々と頭を下げた静に、孝子はうなずいている。元来、素直な気性の静である。冷静になれば、義姉の行動には必然を、自分の態度には反省を感じたのは、当たり前だった。

「おばさまは?」

「お母さんは、お金を払いに行ってる。あ、そうだ。お姉ちゃん」

「ん?」

「検査は異常なしだったんだけど、念のために、しばらくは運動禁止なの」

「うん」

「じゃあ、夏休みいっぱいはだらだらする、って決めて。那美と一緒に海の見える丘に行ってもいい?」

「那美もだらだらするのか」

「私はだらだらしない。静お姉ちゃんがジョギングとか始めたりしないように、厳しく見張る係」

 言って、那美が自分より少しだけ背の低い姉の肩を抱く。静も、妹の腰に手を回す。

「那美ったら、本当に厳しいの。昨日の夜、トイレに行って、戻ったら、起きてて。一人で行くな、起こせ、ってめちゃくちゃ怒られた。ほんの数メートルなのに」

 静が入院した個室にはトイレが設置されている。

「……起きてて、って。那美は、ここに泊まったのか?」

「泊まった。泊まらなくても大丈夫、ってお父さんに言われたけど、居座った」

「一緒に寝たんだよ。何年ぶりかな。……そもそも一緒に寝たことって、あったっけ?」

「記憶に……」

 はっ、と静と那美の表情が、驚きのそれに変わった。鼻をすする音に、麻弥が見ると、隣の孝子は目にいっぱいの涙をためている。

「ちょっと、お手洗い」

 小走りに病室を出る孝子を、二人の義妹たちは追おうとするが、それを抱き留めたのは麻弥だった。

「行くな」

「離して! 麻弥ち!」

「駄目だ」

 単純な力比べなら、スポーツで鍛えた静のほうが上だろう。さらに那美もいる。しかし、一〇年来の親友として、ここは麻弥も譲れない。

「……多分、だけど、おばさんもおじさんも、美咲さんも。いらしてたなら、おじいさんも。喜んでたんじゃないか。お前たちが仲よしなのを見て」

 静と那美の動きが止まる。

「特に孝子は、自分が養女になったことが、お前たちの関係に悪い影響を与えたんじゃないか、って思ってる節があるから」

「違う……!」

 静が再び麻弥を振りほどこうとする。しかし、さすが、と思わせる力強さも、なんとか麻弥はしのいだ。

「違う……。お姉ちゃんは悪くない。那美も悪くない。悪いのは、私。全部、私……」

 麻弥の腕の中で、消え入りそうな静の声だった。同じく麻弥に抱かれている那美は、身動き一つしない。麻弥も動かない。彫像と化したように立ち尽くす三人だった。

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