第五四七話 神宮寺孝子の肖像(一)
大将が猛然と立ち回ったとき、その旗下たちも気勢を上げるのは道理だった。『Power』で主役を張るアーティが躍動すれば、負けじと美鈴も対抗し、剣崎と関は、ひっきりなしに舞姫館を訪ねてくる。そのうち、孝子たちの動きに触発されたチアリーダーたちも合流してきて、ミュージック・ビデオ制作班の勢いはとどまるところを知らないありさまだ。
一方、孝子たちが熱気みなぎる傍らで、相対的にしっけることとなったのは舞姫である。中でも、舞姫がミュージック・ビデオに参加する機会を失う要因に、結果として、なってしまった静が含有する水分量は極めて多くなっている。
「郷本さん。お姉ちゃんから、聞いてますよね?」
一日、思い余った静は、郷本尋道に問い掛けた。舞姫に所属するプロ五人による午前の練習を終えた、その帰りしなである。
「悪手でしたね」
カラーズ島で執務中だった尋道は、ノートパソコンを操る手を止めて、静に正対した。この時、オフィスには二人の姿があるだけだ。尋道以外の面々は、昼の休憩に入って、それぞれ席を外していた。唯一の居残りが存在する理由は、食欲の希薄な人である彼が昼食を飛ばすためであった。
「はい。お姉ちゃん、すごく、怒って」
「でしょうね。できないのはやらないからだ、ぐらいに考えてる方ですよ。どうぞ」
尋道がカラーズ島の空いた椅子を示した。
「失礼します」
「コーヒー、いかがですか?」
椅子に腰を下ろしたところで、次の勧誘だった。
「あ。はい。いただきます。やっぱり、やっておいたほうがよかったんですよね?」
コーヒーメーカーに向かっている尋道の背中に声を掛けた。
「それは、そうですよ」
クラブチーム方式の運営体制を採る舞姫にとって、チームの価値向上は至上命題といえる。アーティ・ミューアの加入と歌舞の効果が相まって、舞姫の名は一般にも広く知られつつあった。今回の一件が、せっかく得た知名度、つまりチームの価値を、さらに確固とする好機であったのは、紛れもない事実うんぬん。
「私、そこまでは考えてなかったんですけど、ただ、美鈴さんを見ていると、しまったかな、って思っちゃって」
「そうですね。できないのはやらないからだ、を市井さんが体現してしまってます」
「今からでも、やったほうがいいでしょうか?」
尋道が振り返った。
「手遅れです」
「郷本さんだったら、なんとかなりませんか?」
「なんとかしてあげたいのはやまやまですが。ちょっと難しい。今回の場合、あの方の静さんに対する遺憾を際立たせてしまう、市井さんというやる気レディがいますので。返す返すも初動の失敗が悔やまれますね。相談していただければ、なんとかしたんですが」
「いくら郷本さんでも、今回ばかりは、難しかったんじゃないですか? だって、とにかく時間がないんですもん」
尋道の首は横に振られた。
「ないなら、作ればいいんですよ。時間的に、かなり厳しいですが、それでも、なんとか参加したいという意欲を、舞姫さんたちはお持ちです、なんて初めに切り出すでしょう。それで、聞く耳を持ってもらったら、次です」
次、とは、撮影日の変更だ。
「アートが日本にいる間で、ザールの使える一番遅い日を撮影日に再設定するんです。で、その日に合わせて、もう一度、エディさんに来日していただきます。神宮寺さんは、アートに『ワールド・レコード・アワード』を取らせてくれた恩人として、エディさんに一目も二目も置かれていますので、あの方の提案なら、ほぼ間違いなく、オーケーしてくれたと思いますよ」
よどみなく返されて、静はうめいていた。
「もう。そこまで読めるんだったら、お姉ちゃんが最初に小正月とか言い出した時点で、止めてくれたらよかったのに。ばかー」
これまで何度も頼っては助けられてきた相手だけに、こうなると、甘えが出てくる。
「嫌ですよ。あの方の決定に盾突くなんて、そんな恐ろしい。できませんよ」
目を向いた尋道の顔が滑稽で、思わず静は噴き出す。
「郷本さんなら何をやっても怒られないでしょう?」
再び、首は横向きに振られた。自分が怒りを買わないのは、イエスマンに徹しているからだ。その鉄則を忘れて、今回であれば、スケジュールの無理を言い立てようものなら、間違いなく蹴飛ばされていた。君子危うきに近寄らず、という。くわばら、くわばら。尋道氏、かく語りき、である。
「そうかなあ。郷本さんって、絶対的にお姉ちゃんに信頼されている気がするけどなあ」
「静さんとは見解の相違があるようですね」
慎重かつ緻密な人だった。この人だからこそ、気と我の強い義姉を、うまく御し得ているのだろう。ミュージック・ビデオへの参加は諦めるしかなさそうだが、せめて、一つ、得た教訓は大事にしたいものだった。義姉に関する限り、何はなくとも尋道に相談するべし。やがて供されたコーヒーを味わいながら、静は、そんなことを考えていたのである。




