第五四四話 冬物語(二三)
ミーティングの報告が孝子に届かないのは当然だ。いても、いなくても、構わぬ存在なのだから知らせる必要はないのだし、こちらも聞く気はない。
それでも、おぼろげに見えてくるときだってある。週が明けての夜、舞姫館に入ると、何やらいつもとは違う喧噪が感じられた。体育館だ。向かってみると、めいめいのウエアに身を包んだ女性たちが、これまた、めいめいに歌い、踊っている。口ずさんでいるのは『Power』のメロディーだった。ここで孝子は気付いた。彼女たちはロケッツのチアリーダーなのだ。まずは個人で習得し、その後、全体で合わせる流れなのだろう。初めて目にする彼女たちの舞姫館の使用は、急場のしのぎとみた。依頼があったのは、ここ一日、二日のはずである。
舞姫の歌舞のコーチ役である彼女たちが動いている以上は、『Power』のレッスンが始まるのも近いことになる。考えてみれば、ミュージック・ビデオの撮影は、アーティが日本に滞在しているうちに済ませておくべきものであった。
それにしても、さすがはプロフェッショナルだった。短い練習期間であろうにもかかわらず、実によく動く。孝子の目には、ほぼ完璧に映る。
チアリーダーたちの動きを眺めていると背後から声がした。振り返って見やった相手は尋道だ。
「いたの」
「ええ。ちょっと小用に立ってまして。一応、こちら側の窓口なのでね。先に帰るわけにもいきません」
チアリーダーたちとの折衝があるので帰宅できぬ、ということか。
「代わってあげたいけど、私じゃ何もわからないしね。土曜日、サボるんじゃなかったかな」
「いいですよ」
「ミサ公は、どうしたの? 調整やりたい、とか言ってたじゃない」
「舞姫の試合が終わった時点でお引き取りいただきました。カラーズに戻ってきているならともかく、外に出ている状態で首を突っ込まれても迷惑なので」
税理士登録の要件である実務経験を積むため、現在は父親の経営する税理士事務所で勤務しているみさとであった。
「そりゃ、そうだ。しかし、プロはすごいね。持ち掛けたのって、昨日か、おとといか、でしょう?」
孝子は話題を転じた。再びチアリーダーたちに視線を戻す。
「昨日ですね」
「もう、ほぼマスターしてるみたい」
「気合いの入り方も違うでしょうしね。実は、エディさんが舞姫の歌舞を見て、チアさんたちにもミュージック・ビデオに出てほしい、と言い出しまして」
舞姫の師匠として、本番でも舞台の上で弟子たちをサポートする彼女たちなのだ。華やかなチアリーダーたちの参加で、歌舞は、いっそう、際立つのである。
「ああ。名を売るチャンスだもんね」
「ええ」
「でも、二〇人からがそろって、ここの体育館で撮影っていうのも、さえない話だね」
「仕方ありませんよ。ザールの予約が取れないんですし」
再びチアリーダーたちに視線を戻した孝子は応えない。思い付いていた。ミュージック・ビデオを、より豪華絢爛にする手法を、だ。
「思ったんだけど」
「はい」
「自分のところのチアが、世界のアートのミュージック・ビデオに出られるんだよ。ロケッツさんも、相応の協力をしてくれたって、いいと思わない?」
「何を要求するんです?」
ロケッツがトーアのザールで試合を行う際には、同劇場を終日借り切っていた、と記憶している。一日のうちの、いずれかのタイミングで、こちらに使わせてくれるよう、要求するのだ。
「では、試合が始まる前か終わった後で、ですかね。設営や撤収があるので、時間的にどうでしょう」
「融通させろい」
「交渉しましょう」
メッセージのやりとりはすぐに終わった。
「伊東さん、いらっしゃいます」
「隣にいたの?」
「ええ」
いったん体育館を出ていった尋道が、次に戻ってきた時には巨躯の同行者があった。舞浜ロケッツ社長の伊東勲だ。
「やあ。神宮寺さん。ご無沙汰してます」
「いえ。こちらこそ。わざわざご足労いただき、ありがとうございます。早速ですが、伊東さん。いかがですか?」
「はい。それは、もう、うちのチアの価値を向上させる、またとない機会ですので、やぶさかではないのですが。問題は時間ですね。うちのチアたち、試合日には朝から晩まで出ずっぱりなので、夜ともなるとへばって、難しい。といって、朝にすると、今度は、舞姫さんが試合前の準備とぶつかって、これも、難しい」
「大丈夫です。やらせます。では、舞姫の試合前の時間を使わせてください」
「承知しました」
撮影日は、明けての小正月と決めた。舞姫の試合が午後の開催で、午前中に撮影の時間を確保できる。加えて、既に帰国の途に就いた一連の活動の重要人物であるエディが、アーティのレコーディングに参加するため、再来日するのも同じ時期だ。これ以上ない条件が重なった。けだし吉日といってよいだろう。




