第五四三話 冬物語(二二)
仮眠を終えた孝子は一階に降りた。体育館から聞こえてくる舞姫たちの活動音を耳に、ゆったりオフィスへ向かう。
オフィスではみさとと尋道、エディがカラーズ島に集って語らっていた。三時間近くたっているが、エディは起きっぱなしなのだろうか。
「エディさん。ずっと起きてるの?」
声を掛けたら、張りのある声が返ってきた。
「もちろん。日本では、いつも、こうですよ。寝る間が惜しいんだ」
「元気ですね。おじさんなのに」
親日家の鋭気を、苦笑交じりに称えておく。
「私だったら、しばらく伸びてるな」
「コーヒー、いかがですか?」
「いただきます」
尋道の声に応じつつ、孝子はカラーズ島の自席に着いた。
「実に興味深いお話が聞けたよ」
と、みさとが椅子を転がせて近づいてきた。目をきらきらさせている。どうも嫌な予感がする。内心で孝子は身構えた。
「何が」
「『Power』の、ミュージック・ビデオのこととか。レコーディングのこととか」
「ふうん」
「ここで撮るんだって?」
「らしいね」
「関さんが演出をするかも、って?」
それは、知らない。黙っている孝子に構わず、みさとは続ける。
「私も関わってみたいなあ」
「いくら斎藤さんでも入り込む余地はありません」
やはりか、と孝子が動く前に尋道だ。コーヒーメーカーに向かったままでつぶやく。
「音楽なんて、極めて専門的な活動ですしね。知識のない方が関わるのは、ほぼ不可能でしょう」
「郷さんは、どうなのさ」
「僕は岡宮鏡子のマネージャーとして、各所との調整を受け持っているだけです。実際の活動には、一切、関わりません」
「そこの、調整の部分だったら、私でも何かできないかな?」
「あいにく僕だけで足りています。何しろ、この方は、自分の出番が終わったら、微動だにしなくなりますので。すること、ありません」
「微動だに、って。まだ、レコーディング、済んでないんでしょ?」
「関係ありませんよ。岡宮鏡子はソングライターです。今回であれば、アートに『Power』を提供した時点で、この人の活動は完了しています。あとは、エディさんと剣崎さんの領域になります」
「そっか。うーん。残念」
みさとは天を仰いだ。好奇心は猫を殺す、ともいう。尋道以上に岡宮鏡子の孝子と通じ合える存在はない。ありがた迷惑なので、さっさと諦めてくれたのは、よかった。もう少し粘っていたら、どやしていたところだった。
「どうぞ」
尋道がコーヒーカップを孝子の前に置いた。
「ありがとう」
「飲み終わったら、ぼちぼち動きましょうか」
孝子、尋道、エディの三人は、舞姫館を出て新舞浜トーアに向かう。現地で剣崎、関ら『Power』制作班と合流だ。
「劇場のボックスシートで舞姫の試合、見るんだよね。いいなあ。私、まだ入ったことないよ。いつも舞台裏で見てるからさ。一応、こまごまとしたお手伝いなんかもしたりで」
「ないんだ。じゃあ、行ってくる? 留守番は私がやっておくよ」
普段、舞姫不在時に舞姫館の留守番を受け持っているのは尋道だ。その彼が午後からの一連の会合に参加するため、この日はみさとが代理を務める次第となっていた。
「え!? それは、駄目でしょうよ! ミーティングがある、って!」
「いいですよ。言ったでしょう。この人の活動は完了している、って。今回は珍しく顔を出すつもりだったようですが、本来、いても、いなくても構わないので」
泡を食ったみさとを、冷徹な尋道の声が鎮める。
「でも」
「いいんです」
突発のわがままにも、まるで動じるそぶりがない。この融通無碍さ加減こそ、親愛なるマネージャー氏の、最も優れた性質と孝子は確信するのである。




