第五三六話 冬物語(一五)
意外に、と評しては侮りが過ぎているだろうか。景との再会は、その夜であった。大学、舞姫館での日課を終えた孝子が帰宅すると、
「ケイちゃん。須之内さんが来てるよ」
出迎えの那美が注進してきた。
勝手口から入り、パントリーを抜けると、青白い顔が二つ、孝子を出迎えた。景と、もう一つは、静だ。
「こんばんは。お邪魔してます」
「お姉ちゃん。景が、話があるって」
「ふうん」
孝子は二人の横を素通りし、LDKを出かけたところで、くるりと振り返った。
「こっち。静ちゃんはいいよ。話があるのは私に、って言ってたよね」
孝子は景を連れて自室に入った。狭い四畳半の中で二人は正対する。
「どうするの?」
前置きなしでおっ始める。
「え?」
「え、じゃない。舞姫の話をしに来たんじゃないの?」
「あ。はい。あの、お姉さんの言われたとおりにしようと思います。具体的には、どうしたらいいんでしょうか?」
なんと覇気のない物言いか。先が思いやられる。
「本当に、それで、立派に一芝居、打てるの?」
「どうでしょう。あまり自信が」
失敗した。出しゃばった。打てども響かぬ相手には、孝子の無法も通りが悪い。路線の変更が必要だった。
「須之ちゃん。まだ時間は大丈夫?」
部屋の置き時計は午後一〇時を大きく回っていた。
「はい」
「カラーズの軍師のところに行こう」
「軍師?」
「郷本君は、知ってるでしょう? やつだ。やつ」
廊下に出ると、ロンドが駆けてきて、孝子の足にまとわりつく。
「邪魔。蹴るよ」
「ケイちゃん! なんで、そんな、ひどいことを言うの!」
声をよそに、ロンドは孝子への接触を続ける。
「犬。私たち、外に行くの。離れて」
ついに、ロンドは孝子の足にしがみついてきた。
「何。番犬でもしてくれるの?」
意を得た、とばかりにロンドは尻尾を強く振っている。
「お前、あんまり強そうじゃないけど、いないよりは、ましか。那美ちゃん。首輪とリードは、どこにあるの?」
「ケイちゃん。どこに行くの?」
「首輪とリードは?」
声色の急変に気付いた那美は、即座に首輪とリードを持ち出してきた。
「ありがとう。じゃあ、行ってくるね」
赴いた郷本家では、尋道が就寝時間間近とは思えない格好で二人を出迎えた。ジャケットにスラックスである。
「やあ。ロン君。いらっしゃい」
「私より先に、犬にあいさつするとは、どういう了見?」
しゃがみ込んでロンドをなでる尋道に向かって孝子は言った。
「ちゃめっ気ですよ。さて。お二人でいらした、ということは、まとまったんですね?」
「一応。君は、どこかへ行ってたの?」
「これから行くんですよ。舞姫館に」
「何かあったの?」
「お二人も来てください。中村さんと打ち合わせをしていた時に、あの方がおっしゃいましてね。あなたが動いたのなら、当日中に進展がある可能性が高い、と。僕も、いちいちもっともだと思いましたので、こうして、お待ちしていました。車、乗せてくださいね」
急ぎ家に戻った孝子は、ロンドを那美に預け、車を出す。神宮寺家には車を使って訪れていた景とは、ここでいったん別行動となる。
「ちなみに、一応、とは?」
車が走りだしてすぐに尋道がつぶやいた。
「打っても、果たして、響いたのかなあ、って感じで」
「やはり。これも中村さんのおっしゃったことになるんですけど、須之内さんがミス・クラウスの挑戦に刺激を受けた、というシナリオは、苦しい、と」
「あの人、全日本で須之ちゃんと一緒にやってるもんね。人柄は、お見通しだ」
「はい。なので、中村さんに、大いに一枚かんでいただく手はずになっています」
考えるにつけ、就職によって須之内景の才能を、このまま埋もれさせてしまうのは、なんとしても惜しい。そう考えた中村が、景を強引に勧誘する。バスケットボールへの熱意なら、人後に落ちない中村を登場させ、根なし草のような景は否応なしに巻き込まれた、と話は進展していく。
「だいぶ、むちゃくちゃですけどね。中村さんには泥をかぶっていただくわけですし」
「今更だけど、そこまでやる必要、あった?」
「静さんの要望には、可能な限り応えるのがカラーズです。なんといっても、カラーズは、静さんのために作られた組織なのでね。それに、中村さん、須之内さんほどの才能を指導できる機会はめったにない、と大いに乗り気なので、よしとさせていただきました」
「ふうん」
いつしか車は舞姫館の至近に達していた。夜のことだ。滞りなく車が流れた結果であった。




