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未知標  作者: 一族
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第五二話 姉妹(五)

 後に各務が語った要因は三点だった。試合は序盤から鶴ヶ丘が支配し、ナジョガクはなかなか初得点を挙げることができなかった。得点差は一二対〇まで広がっていた。それに伴うナジョガク側の「焦燥」。

「普通なら、追わん。追い付けん」

 その「普通」でない出来事が起きた理由は「油断」と「池田佳世」だ。上々過ぎた滑り出しに、静は、追う者はないと「油断」し、全力で走らなかった。後方の確認も怠った。

「ミスだ。一流のやることじゃない」

 試合開始以来、無得点のチームに「焦燥」していたところ、相手のエースが「油断」を見せた。ここでたたけば、ひとまずは、鶴ヶ丘の勢いを断つことができる、かもしれない。そして、あの速さなら、自分なら。「池田佳世」の判断は、極めて妥当だったろう。

「追い付ける、と思ったら、それは、追うさ」

 第一クオーター残り七分三二秒。ボールを奪取した祥子から、既に駆けだしていた静にボールが渡った。静が走る。猛然と佳世が追う。両チームの高い人気故の場内の歓声が、長沢や景、祥子の声をかき消し、両者はナジョガクサイドの制限区域、その空中で交錯した。佳世の接近を、全く予期していなかった静は、はね飛ばされてコートに落下し、そのまま動かない。

 静まり返った中、最初に動いたのは孝子だった。席を立つと、そのままコートに突進する。興奮した観客のちん入、と見なされ、阻止に動いた場内係員たちの前に立ちはだかったのは、春菜と彰だ。ほとんど体当たりの勢いで春菜は孝子をかばう。

「親族の方です! 邪魔をしないでください!」

 孝子の接近と、ほぼ同時に、静が目を開いた。そのまま立ち上がろうとする。

「動かないで! そのまま安静に!」

 駆け付けてきた大会の嘱託医の指示が飛んだ。切迫した声は脳震とうが疑われるためだ。嘱託医のほうをにらんだ後、静は傍らに片膝を突いている孝子に気付いて、口を開いた。

「お姉ちゃん、何してるの。今、試合中だよ」

 この一言で静に意識の混濁がないことは明らかとなった。気持ち安堵の表情に変わった嘱託医が、それでも、静の見当識、記憶の状態を探るための質問をする。日付、場所、時刻、相手チーム……。

「大丈夫です。頭は打ってません」

 言いながら、それでも全ての質問に静は答えていく。

「すみません。お時間を取らせました。試合を再開してください」

 立ち上がった静はレフェリーに言った。その足取りに全く乱れはない。

「認められません。交代してください」

 医師として、当然の言である。しかし、静は無視して歩きだす。その前に立ちふさがったのは孝子だ。

「お姉ちゃん、試合が始まるよ」

 コートから出てくれ、と続けるつもりだったのだろう。しかし、静は口をつぐむと、ばつが悪そうに唇をかんだ。孝子の凄絶な視線だった。

「お医者さまと一緒に医務室に行きなさい」

「そう。行け。お前、ここに残ってても出さないよ」

 声は長沢だった。抱えていたジャージー一式を孝子に突き出す。静のものだ。

「孝子。任せた。連絡は後でいい」

「はい」

 孝子と静は嘱託医に先導されて会場を後にした。向かったのはアリーナを出て、すぐにある医務室だった。医務室とはいうものの、ベッドとついたて以外に、らしい設備はない。閑散とした部屋は、医師が常勤しているわけではない以上、仕方のないことだろう。

「たとえ、お医者さまのお許しがあっても、私が許さない」

 なんとか復帰の許可を取り付けようと、嘱託医をかき口説いていた静に、孝子が放った言葉だった。まなじりをつり上げてにらんでくる静を、真っ向で受け止めて、孝子は「半」瞬で撃破した。うつむき、不満げに嘆息を連発する静を無視して、孝子は嘱託医との会話に入る。

「私たちの父は医師をしています。父に連絡して、妹に精密検査を受けさせたいと思います。すぐに移動させても問題はないでしょうか」

「ちょ、ちょっと、お姉ちゃん! 勝手なことを言わないで! 出られないなら、せめて、応援するよ!」

「黙れ」

 しとやかで穏やか、という神宮寺家の人たちが共有する孝子へのイメージに反した言動に、静は凍り付いている。

「……ええ、ああ、念には念を、ということですね。私も賛成です。お父さまは、どちらの?」

 一緒に凍結していた嘱託医の反応があったのは、たっぷり一〇秒の後であった。

「舞浜大学病院です」

 連絡を取った隆行が現況の説明を嘱託医に受ける間に、孝子は医務室の外に出た。扉の外では春菜、彰、各務と大会関係者らしきネックストラップの人々とがたむろっていた。麻弥だけ、姿が見えない。

「あ。お姉さん」

「そちらは大会の?」

「はい」

「私は神宮寺静の姉の神宮寺孝子と申します。精密検査を受けさせますので、妹を連れて帰ります」

 精密検査という言葉に、さっと緊張が走る。

「お姉さん、静さん、具合が……?」

「念には念を入れて。でも、打った可能性のある場所が場所だから。私は楽観しない」

「うん。それで、いい。念には念だ。頭は、絶対に、甘く考えちゃいかん」

 各務が大きくうなずいた。ここで、スマートフォンを片手に麻弥が戻ってきた。誰やらと電話をしていたようだ。

「麻弥ちゃん。車をお願い。静ちゃんを大学病院に連れていく」

「わかった。朝に入った入り口に車を持ってくる」

 麻弥が通路を駆け去ったところで、静と嘱託医が医務室を出てきた。このときの静の顔色は、まずは救急車ではないか、というほどのさえないもので、実際、大会関係者の一人が、そう提起したほどだった。

「いえ、大丈夫です。せめて、応援したいな、って思ってただけです」

 周囲の様子に静は、孝子をちくりとやりつつ答えたが、効くものではない。能面のような顔で、ちらりと見やり、静を、その周囲ごと、まとめて氷漬けにするのみだ。

「よし、行け。春菜、私の荷物は教授室に放り込んでおいてくれ」

「あれ。先生は、どうするんですか?」

「六人は乗れまい。私は、美馬と一緒に帰る」

 相変わらず、主語がない各務の話法ではある。しかし、このときの難易度は低い。運転は麻弥。助手席に彰、後部座席に運転席側から春菜、静、孝子と乗せたウェスタは、国府スポーツ公園を後にした。

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