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未知標  作者: 一族
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第五二五話 冬物語(四)

 引っ越し荷物の様子を見届けた孝子は、いったん大学に登校し、勉強、学協でのアルバイトと済ませた後に舞姫館へと戻った。午後八時近くになっていた。

 洗濯、入浴と順を追っていき、洗い上がりを待つ間は、食堂のマッサージチェアに陣取る。井幡に贈ったものが、彼女の好意で設置されているのだ。すっぽり収まっていると、食堂の自動販売機目当てにやってきた佳世に発見された。

「お姉さん! いらっしゃったんですか!」

「うるさい。いらっしゃったよ」

 佳世は椅子を引っ張ってきて、部屋の隅に置かれたマッサージチェアの傍らに座った。

「お姉さん。私、寂しいです。海の見える丘が懐かしいですよ」

「私はつらいよ。佳世君は、鶴ヶ丘の私の部屋って、知ってたっけ?」

「あの、すごく狭い」

「そうそう。こんなことなら、ぎりぎりまで海の見える丘にいるんだった。三人分の家事が面倒なんて言ってる場合じゃなかったよ」

「新しいおうち、待ち遠しいですね」

「うん」

 とはいうものの、だ。家事の面倒は、広い新居に移れば、再燃する問題でもある。義理の祖父の博、同じく叔母の美咲と妹の那美に加えて、春菜、佳世という新たな「本家」の住人たちは、家事において、およそ頼りにならぬ、と孝子は見極めていた。対策が必要だった。

「そうだ。いい考えがある」

「なんですか?」

「次の家、六人で住む予定じゃない?」

「はい」

「三人分の家事どころか、倍だよ。倍。そこで、まず、佳世君を引っ捕らえます」

「あっ。嫌な予感が」

「引っ越しまでの間に家事をたたき込みます。引っ越してからは、こき使います。拒否する場合は、ぶちます」

「お姉さん。穏便にお願いします」

「私が穏便になんて振る舞えると思っているのかね?」

「思いません」

「なんだと」

 襲い掛かれば、悲鳴だ。

「自分で言ったのに!」

 冗談は別として、と孝子は声色を改めた。

「佳世君。手伝って。ここだけの話、他の四人は当てにできない」

「はーい」

 素直な返事だった。これこそ、といえた。目上の博と美咲には、そもそも手伝いは頼みにくく、目下でも春菜と那美は、言い付けに素直に従う姿が想像できない。佳世しかいないのだ。

 翌晩から孝子は佳世への指導を開始した。何はなくとも包丁業を身に着けさせようと、稼働時間外の厨房を舞台に、いざ、である。

「二人は何してるん?」

 食堂に入ってきた美鈴が、目ざとく二人を発見して、食堂と厨房を隔てた壁の開口部に身を乗り出してきた。

「集中!」

 声に応じかかった佳世を孝子は叱咤した。

「刃物を扱ってるんだよ。気を散らさないの。ミス姉。そういうわけ。放っておいて」

「なんで刃物? 教えて、って頼まれたん?」

 一度、断りを入れた以上は、無視する。素人の包丁さばきを見守っているのだ。集中しなくてはならないのは孝子も同じだった。

 熱のこもった指導は三〇分余り続いた。危険を伴う実習を、長時間にわたって行うことは避けるべきだ。これぐらいが適切であろう。

 後片付けを終えて厨房を出ると、美鈴が食堂から顔をのぞかせた。

「おーい。結局、何をやってたんじゃ?」

「包丁の使い方の練習」

「池田は料理にでも興味持ったんか?」

「いえ。お姉さんに誘われて、家事の勉強を。今まで、ほとんどやってこなかったので、楽しいです」

「おお。私も、ずっと寮だったし、アメリカじゃあ外食ばっかだしで、池田と一緒だな。なんにもできない。よし。たーちゃん。私にも教えなさい」

 美鈴に教えたところで、孝子にはなんの得もない。嫌なこった、と言いかけて、思いとどまった。門下生が増えれば、その指導を口実に、さらに帰宅を遅くできるではないか。これは好機なのだ。やるしかない。美鈴の弟子入りを認め、ぴしぴしと鍛えてくれよう。そう心に決めた孝子だった。

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