第五二四話 冬物語(三)
謹製の秘策を尋道に授かった、その二日後の正午前だ。孝子は久方ぶりに舞姫館を訪ねた。
「いらっしゃい」
駐車場に尋道が出てきた。
「まだ着いてない?」
引っ越し業者に託した荷物の配送先に、孝子は舞姫館を指定していた。「新家」の狭い部屋では荷ほどきもままならない――それ以前に入りきらないがための措置であった。
「いえ。業者さん、もう帰られましたよ」
「お。早い」
荷物が運び出されて、がらんどうとなった住まいをクリーナーで軽くなで回した後に、引っ越し業者の後を追ってきた孝子だった。小一時間程度しかたっていないはずだが、さすがはプロフェッショナルの手際のよさといえた。
「大きな荷物は少なかったですしね。冷蔵庫と洗濯機とダイニングテーブルと、あとは電子オルガンでしたか」
「うん」
「電子オルガンだけは二階のアトジオに運んでもらいましたけど、他は一階に置いてあります」
アトジオは、アトリエ・アンド・スタジオの略で、麻弥のアトリエと孝子のスタジオを兼ねた2C号室を指す。
「一階の、どこに置いたの?」
「中にどうぞ」
館内に入ると、一目瞭然だった。エントランスホールにパーティションで囲まれた一角が出現していた。中には見慣れた家財道具やら段ボール箱やらが積まれている。
「ほう。こう使いましたか」
くだんのパーティションは、海の見える丘で部屋の区分けに使っていたものだ。
「格好の目隠しになる、と思いまして」
「うん。いいね」
と、そこへ、途方もない大声が聞こえてきた。
「たーちゃん! いたんか!」
美鈴だ。のしのしと近づいてくる。声を聞き付けて、体育館から、静、春菜、アーティらも飛び出してきた。そういえば、アメリカ組の帰朝、来日以来、春菜以外と顔を合わせたのは、今日が初めてだった。
「……おはる。シェリルは?」
無沙汰をなじる声、声、声を無視して、孝子はその場に姿を見せていない人物の動向を問うた。
「今はコンディショニングの途中でしたので。シェリル、まだ向こうでやってると思いますけど、呼びましょうか?」
答えた顔に孝子は近接した。
「呼びましょうか、じゃないよ。なんで練習をほっぽって来てるんだよ」
「いえ。お姉さんがいらっしゃってるのに、ごあいさつをしないわけには」
「言い訳をするな」
「私はお手洗いついでだったんで、無実ね」
怒った、と見たのだ。美鈴は素早く引いていった。
「お前たちも、戻れ。戻って、練習しろ。真面目にやれ」
言って、尋道に向き直る。
「これ、いつごろまで、このままにしておいていい?」
顎をしゃくって荷物を示した。
「いつまででも。ただ、家電については、適度に通電したほうがいいかと思いますが」
「そっか。いや。荷ほどきしないで、置かせておいてもらおうかな、なんて思って。ないならないで、なんとかするし。どうせ、また引っ越すしんだと思えば、そのほうがいいと思わない?」
「お姉ちゃん。手伝うよ」
振り返ると、静、春菜、アーティらが突っ立っていた。孝子は灼熱した。人の言うことを聞かずに、何をやっているのだ、こいつらは。
「戻れ、って言っただろうが! 舞姫は選手枠に余裕がないっていうし、てめえら、まとめて首にするぞ! 失せろ!」
大喝でまとめて吹き飛ばし、改めて尋道に対する。
「ごめんなさい。大きな声を出して」
「いえ。で、先ほどの通電の話ですがね。こちらでやっておきましょうか?」
「うん。お願いします。あ。待って。洗濯機だけは、私がやろうかな。ここでお洗濯するの」
洗濯は夜にするのがよかろう。舞姫館の風呂は一〇人からが同時に入浴できる広さがある。ひとっ風呂の前に洗濯を開始すれば、湯上がりの火照りも収まったころに仕上がるはずだ。のんびり干すことで、都合二時間は稼げる。
うまい具合に、続々と材料が集まってくる。狭い部屋に滞在する時間は、最小限にとどめられそうではないか。気鬱な時間が短くなりそうで、まずは何よりといえた。




