第五一九話 まひかぜ(一七)
マッサージチェアの選定を終えたので、購入資金をいただきたい、と尋道が連絡してきたのは、九月の末日だ。孝子が舞姫館に押し掛けていってから一週間が過ぎようとしていた。
「ほい。こっちがマッサージチェア代で、こっちが郷本君の分ね」
朝一で舞姫館に突入した孝子は、用意の現金を尋道の眼前に突き付けた。
「ありがとうございます」
「どこで買うの?」
「長船モールのトモマツ電器で。風谷さんに相談したら、学協では基本的にアカデミックなものしか売ってない、と言われまして」
カラーズと舞姫は、舞浜大学と産学連携協定を締結しており、その一環で同学協の組合員になっているのである。
「そうなんだ。じゃあ、長船モールに行こう」
「忙しいんですが」
「メーカー。型番」
尋道は瞑目した。
「わかりました。行きましょう。一人で行かせたら、マッサージチェアの数が増えかねない」
「うむ」
孝子の運転で長船モールに向かうこととなった。隣市の中心部までは一〇分程度の道のりとなる。
「大女優」
車に乗り込んだ瞬間だ。
「誰が」
「神宮寺さんが。受験生を好演されているようで」
みさと経由で伝わってきた麻弥の述懐らしい。鬼気迫る勢いで勉強している。関係のない、例えば、カラーズのアスリートの話題でも出そうものなら、怒る、怒る、だそうな。
「郷本君なら言ってもいいかと思うんだがね」
「はい」
「純粋に、興味がない、というのもある。静ちゃんたちを応援する気持ちと、あの子たちが取り組んでいるスポーツそのものへの関心とは、私の中では別なのさ」
「では、道すがらの話題にするのはやめておきましょう」
「いや」
孝子は首を横に振った。
「君の話だったら聞いてもいいよ。マヤ公は言い回しが嫌なんだ。何々したほうがよくないか、とか、しておかないとまずくないか、とか。構わない、って言ってるのに、どうして、ああいうふうに念を押すのかね」
「言っておかないと、後々、神宮寺さんに不利益が生じる、と信じるからでしょう。人がよくて心配性な方です。つい口に出してしまう」
「全て承知の上での、構わない、なんだよ」
「そこは、猫は虎の心を知らず、と言いますし」
「誰がタイガーか」
シェリル・クラウスの愛娘、ミシェルにタイガーと評された思い出が蘇り、孝子は噴き出している。
「よし。行くぞ」
孝子は車を発進させた。流れに乗ったところで、尋道が口を開く。
「何から始めましょう」
「なんでも」
「では、より興味のなさそうなほうから」
サッカー、野球、バスケットボールの順番となった。
イギリスリーグはベアトリスFCに所属する、奥村紳一郎、佐伯達也、伊央健翔らの活躍は、猛威と称してよい領域に達している。
「なんだね、その、『the Magician』とか『the Hero』ってのは」
「二人のプレーぶりに付いたニックネームですよ。奥村君が『Prince of Beatris』と呼ばれているのは、ご存じでしたっけ」
「うん」
「『Prince of Beatris』に仕える『the Magician』の佐伯君と『the Hero』の伊央さんですね。三人合わせて『Order of the Beatris』ですって」
「何が『Order of the Beatris』だい。大げさな」
シーズンが始まったばかりのサッカー、イギリスリーグに対して、アメリカプロ野球はシーズンも最終盤だ。ただし、川相一輝の所属するシアルス・ウイングスは、プレーオフへの進出がかなわず、一〇月早々、今季の活動を終える。
「チームの人数が多いと、いくら傑出した存在であっても、埋没してしまいますね。バスケの五人ぐらいが、個人の支配できる限界なんですかね」
「川相さんは傑出してるのかね」
「地球上で最高の打者だそうですよ。アメリカって、褒めるときはとことん褒めますよね」
「ふうん」
最後に、LBAである。こちらはアメリカプロ野球よりも一足先にシーズンを終え、今は、プレーオフに突入している。
「LBAファイナルは、須美もんとおはるだっけ」
「ええ」
「須美もん、頑張ったなあ。でも、相手は、おはるだし、ここまでかな」
西地区を制したシアルス・ソアの武藤瞳と、東地区の覇者、ロザリンド・スプリングスの北崎春菜は、共に孝子の妹分といっていい存在だ。自然、称え方も、ぞんざいなものとなる。
「カラーズも大所帯になりましたね」
「そうね。最初は、静ちゃんのためだけの事務所だったんだもんね」
「全員、神宮寺さんの縁故ですよ」
「そうだっけ?」
「そうです。つまり、あなたあってこそのカラーズ、ということです。精いっぱい、サポートさせていただきますので、今後とも、カラーズをお見捨てなきよう」
「そこは郷本君次第だなあ。マヤ公もミサ公も気の利かないやつらさ。君が私の機嫌をうまく取らないと」
「善処します」
悪びれたふうもなく尋道は黙礼する。その肩に孝子は、ぽんと手を置いた。会話の間も順調に走り続けた車は、いつしか長船モールまで指呼の間に迫っていた。




