第五一六話 まひかぜ(一四)
郷本信之と、その門下による初会合までに、孝子はさらに二曲を完成させた。これは、わざわざ、ではない。引き続き郷本家に通い詰め、信之との共作にかまけているうち、なんとはなしでできた。『Power』と『週末の騎士』である。
アーティが書いた詞に曲を付けたものが『Power』だ。ずっと以前に受け取ったまま、存在を忘れていた一作を、今更ながらに思い出して、手掛けた。おてんばのテーマ、とも称すべき詞に付ける曲には、アップテンポの指定がなされていたが、それは孝子の苦手なジャンルになる。作業を終えたソングライターのコメントは唯一、持つべきはいい師匠、であった。
『週末の騎士』は、昔、岩城がサッカーをやっていたことから着想を得た。といって、岩城のプレーぶりは知らぬので、代わりにカラーズが抱えるサッカー選手三人の生態を下敷きにした。連中、どうにも抜けている。人付き合いが絶望的に悪かったり、身だしなみを気にしなさ過ぎたり、ゲームにばかりうつつを抜かしていたり、といった具合に、だ。しかし、試合となれば違う。選手としての能力は、いずれもがめっぽう高い。楽曲名の『週末の騎士』には、週末に実施される試合の時だけ、普段とは打って変わった活躍を見せる三人をやゆする意味が込められている。
二曲を引っ提げた孝子が、信之と共に初会合に臨んだのは、明ければ大学の後期が始まる、という週末の金曜日だ。午前一〇時の指定に午前九時半は、かなり余裕のある到着だったはずだが、弟弟子とは、ほぼ同時の到着となった。くしくも前を走っていた赤いSUVが関の車であった。
「高そうな車」
車を降りた孝子は、隣の立派な車体に目をやった。多分、外車、と思う。マニュアルトランスミッションを愛好しているだけで、車自体への関心が薄い孝子に、この手の見分けは付かない。
「よかったよ。快適だった。俺のやつとは大違いだ」
答えたのは車の持ち主ではなく、急きょの参加となった剣崎だ。孝子たちの集合を聞き付け、押し掛けてきた。
「そりゃあ、あんな乗りにくそうな車に乗ってたらね」
剣崎の車は、平べったく、長い車体のクーペなのである。
「もう少しの辛抱さ。カラーズさんのビルが完成したら、別の車にするよ。駐車場に入らない、って言えば角が立たない」
「何を言ってるんです?」
「剣崎さん、背が高いでしょう。で、お持ちの車、背が低いでしょう。乗りづらくて、たまらないそうなんですが、正村さんと一緒に選んだ手前、変えにくくて、という悲喜劇です」
いつの間にか舞姫館から出てきていた尋道が解説した。
「見栄を張った報いだな」
あざ笑った孝子に剣崎は肩をすくめてみせる。
「剣崎さんの車が入らないんじゃ、俺も変えないとか」
関がつぶやいた。
「紹介してあげましょうか、弟弟子」
「姉弟子。ぜひ」
いきなりの弟弟子呼ばわりにも当事者は軽妙に返してきた。
「ケイティー。俺も、いいかい?」
「いいですよ。渡辺原動機の海の見える丘店で買ってもらいますけどね。私のなじみの営業さんがいるんです」
「カラーズの協賛企業でもありますし、いいんじゃないですか。と、中に入りませんか。今日は、ちょっと暑い」
尋道の指摘したとおり、じきに秋分だというのに、この日の日差しは強く、気温は高かった。
「真夏日の予報だったね。今年最後になってくれたらいいけど」
空を見上げて信之は嘆息だ。
「郷本君。中では何をするの?」
「剣崎さんと関さんは、中村さんとの対談、撮影ですね。済み次第、ザ・ブレイシーズのミーティングに、と。そういう流れを考えています」
「最初の対談とかは長くなりそう?」
「それなりには」
孝子は車に走ると、後部座席に置いていたトートバッグをまさぐり、スコアを取り出した。戻って、剣崎に突き付ける。
「はい。待っているうちに、くたびれて帰るかもしれないので」
「え。これは?」
「こっちは、アートの詞に曲を付けたやつ。こっちは、ライブ用に。そうだ。弟弟子は振り付けができるんだっけ。一丁、考えてみない? 採用される保証は全くないけど」
孝子は、剣崎の横に立ってスコアをのぞき見ていた関に声を掛けた。
「やるよ」
「じゃあ、後の段取りは二人で取り決めてくださいな。目指せ、『ワールド・レコード・アワード』。さあ。中に入ろう」
そんなハッパを不用意にかけたものだから、剣崎と関は、対談、撮影の間中、気もそぞろで仕方なかったそうな。この手の配慮が、とかく欠けがちで、人の事情をおもんぱかることをしないのは、孝子の特徴的な人となりといえた。




