表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未知標  作者: 一族
511/748

第五一〇話 まひかぜ(八)

 昨日の今日で孝子が再訪してきたのには、岩城も驚いたようだった。狭い店に人がごった返して、ゆっくり話せなかった。一日置いて仕切り直しだ、と告げれば、老マスターの顔にほほ笑みが浮かぶ。

「悪いね。僕の人徳さ」

「おじいちゃん。何を言ってるんですか」

「僕を慕って、二日続けて来てくれた子もいるんだ。間違ってないよ」

「来なきゃよかった」

「そう言わないの。ころ合いだし、お昼にビスケットを作ってあげるから」

 岩城が作るアメリカ式ビスケットは孝子の好物だ。

「やった」

「ただ、材料がない。お代はケイティー持ちで買っておいで」

「じじい」

「ははは。さあ。まずは一杯」

 にやりとしながら岩城はコーヒーの抽出に取り掛かる。

「それにしても、本当に突然で、驚きました」

「僕も、ね。このまま舞浜でくたばる予定だったんだけど、兄一人弟一人の弟に泣き付かれたんじゃ、むげにはできない」

「はい」

「せめて子供でもいればよかったんだが、あいつのところもうちと一緒で子宝に恵まれなくてね」

 口を挟むべき内容ではない。孝子は黙ってうなずくにとどめた。やがて、コーヒーが供された。

「おいしい。なかなか岩花までは行けないし、これからは通い詰めて堪能しなくちゃ。岩城さん。こちらは、いつまで?」

「一〇月、かな」

 孝子は驚いた。予想外に早い。

「随分と急ですね」

「一一月になると、すぐ近くの県道が閉鎖されたりするぐらいには山奥なのさ。あまり遅くなると、困ったことになりかねないんだ」

 地域柄、仕方のない事情といえたが、たとえ、そうであっても、残り二カ月とは、あまりにも短かった。

「ケイティー」

 いささか放心の状態に陥っていたらしい。岩城がのぞき込むようにして孝子の顔を見ていた。

「大丈夫かい?」

「はい。二カ月って、結構、すぐですよね」

「うん」

 ふと思い出した。

「岩城さん。だいぶ前になりますけど、私が新居の自室を防音室にしたい、って剣崎さんに相談したのを覚えていらっしゃいますか?」

 義理の叔母が建て替える「本家」に一室をあてがわれた孝子が、そこを趣味の音楽に打ち込む空間にするべく、音楽家に監修を依頼したのは、昨年の年末だ。

「思い出した。こけら落としのライブに招待してくれる、って話だったよね。もう、おうち、建ったの?」

「いえ。この間、上棟が終わって、今は大工工事と聞いてます」

「残念。間に合わないね」

「はい。そちらは間に合わないんですが、一つ、思い付いたことがあって。別の場所でライブ、岩城さんの送別ライブを開く、って言ったら、お越しいただけますか?」

「いいよ」

「正確な日付は、ちょっとど忘れしちゃって。確か、一〇月の半ばだった思うんですけど。ご都合は大丈夫ですか?」

「うん」

 孝子はスマートフォンを取り出した。善は急げだ。この場合の善とは、郷本尋道への依頼になる。

「はい」

「郷本君。舞姫がザールで練習する、って話、あったよね。あれ、どうなった?」

 尋道が応答するや、まくし立てる。

「やる、そうですよ。正味一時間ぐらいしかできないみたいですが」

「やめさせて」

「はい」

「代わりに私が使う。岩城さんの送別ライブをする。手伝って」

「わかりました。お一人ですか?」

「ザ・ブレイシーズでやれたらいいけど、一人でもやる」

「では、まとめてから、再度、連絡を差し上げますので、ひとまず、これで」

「うん。お願い」

 最善手を打った。真っ昼間に寝るわけにもいかないので、果報は、ただ、待つ。ちょうど、ビスケットの材料を買いに行く、という暇つぶしがあった。尋道ならば戻るまでには、なんらかの成果を上げているはずだ。では、出掛けるとしよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ