第五〇話 姉妹(三)
翌日、孝子たちは午前七時という、比較的早い時間に旅館を出た。女子、男子のそれぞれの決勝戦が行われる大会最終日は観客も多い。特に今年の鶴ヶ丘は人気、実力の図抜けた存在だ。昨年と同じカードとなった、対戦相手の那古野女学院高等学校も、全国にその名をとどろかせるメジャー校である。各務にも、どれだけの混雑になるかは予想できない。余裕を持って動こう、という提案に随行の三人もうなずいたのだ。
午前七時半前に国府スポーツ公園に到着した一行は、各務の入構証で関係者専用駐車場に車をとめ、その後は、公園内をうろうろ、だった。
「すまんな。ここまで田舎とは知らなかった」
近くの喫茶店あたりで時間をつぶそう、と車内では言っていた各務だ。しかし、到着してみると、国府スポーツ公園の周囲は田畑とまばらな民家だけ、だった。幸い、四人ともパンツルックの動きやすい服装だったため、公園内を散歩をして時間をつぶす、という流れになったのだ。
公園内を大回りに一周して、一行はバスケットボール競技の会場である国府スポーツ公園体育館前へとやってきた。こぢんまりとした外観の外には、収容できるのか、という量の人であふれている。
「うわ。ふらっと来てたら、とんでもないことになってたな」
既に強くなりだしている日差しに、手のひらをひさし代わりにして、麻弥が言った。
「来賓席だ。安心しろ」
用意の日傘を差していた各務が答えた。
「……先生」
「なんだ」
「雪吹君がいますよ」
「何?」
唐突に言われて、各務はしばし辺りを見回していたが、やがて、はるか前方を指して言った。一団の若い女性たちの間から、にょきっと長身がそびえ立っている。
「ばかが。一人でふらふらしてたら、囲まれるに決まってる」
昨年までの高校バスケットボール界において、最大のスターが雪吹彰だった。東京の強豪私立校に所属していた彰は、一九〇を超える恵まれた肉体と確かな技術、その貴公子然とした容姿で爆発的な人気を誇った。三年間の伝説的な活躍の後に、彼が教職を志して進学の道を選んだことは、バスケットボール界の損失と評されていた。
「……困惑してますね」
女性たちに囲まれて、彰が硬い笑顔を浮かべているのが、遠目にもはっきりとわかる。学生スポーツといえども、トップ選手の人気は、ちょっとした著名人並みである。高校を卒業して一年ぐらいでは、彰のファンもまだまだ健在、ということだ。
「そもそも、あいつ、何しに来たんだ。出てないだろうが」
彰の母校は都大会で敗退し、今年は全国の舞台に上がることができなかった。だのに、彰がこの場所に現れたのはどうしてか、と各務は言うのだ。
「指導者の卵として、視察じゃないですか」
「真面目なことだ、な」
「……すみません。二人で話しちゃって。お二人は、雪吹君をご存じですか?」
「知ってる。あいつ、昔、鶴ヶ丘にいた」
「あ、そうだったんですか」
「私たちとは子供会の先輩、後輩。静と高遠にバスケを最初に教えたのも、あいつ」
「へえ、そんな縁が」
鶴ヶ丘時代、彰は地元のミニバスケットボールクラブに所属していた。神宮寺静と高遠祥子にバスケを、というのは、元々、チームを率いていた「熱心なおじさん」が転勤で去り、専門的な知識を持った指導者が不在となったことが理由だ。メンバーの中で最も秀でていた彰が、年少者たちのコーチ役を務めざるを得なかったのである。
「後輩たちの勇姿を見に来たか」
「これ」
さっと右手の小指を立てて、すぐに収めた孝子だった。
「え、どちらが……?」
「静。各務先生、なんとかならないですか。あれじゃ、落ち着いて試合も見られないでしょうし」
「おう。じゃあ、気の利かないおばさんでも演じてやるか。おい! 雪吹!」
声に、視線を泳がせた彰が、一向に気付くと、周囲に会釈した後で駆け寄ってきた。各務に正対し、深々と頭を下げる。
「各務先生、ご無沙汰してます」
「おう。災難だったな。お前、こっちに来い。来賓席で見せてやる」
「はい。ありがとうございます」
再び、各務に頭を下げた後、彰は残りの三人のほうに向き直った。
「久しぶり。こんなモデルいそうだな」
彰は高校時代にさっぱりと刈り上げていた頭髪を全体的に伸ばし、特に襟足は長めにしていた。長身がまとう鮮やかなブルーのポロシャツは、鶴ヶ丘のチームカラーであるマリンブルーを意識したものだろう。
「います、います。女の子をつまみ食いしてそう」
「いや。してないし」
「エロ彰」
大笑でも、バランスのいい造作は失われない。
「どうして、いきなり袋だたきにされてるんですか」
今度は三人が大笑の順番だった。改めて彰は、春菜、麻弥、孝子の順であいさつをしていく。特に、久しぶりの再会となる鶴ヶ丘組には、念入りに頭を下げる彰だった。それぞれの母親が子供会の活動に熱心だったことから親密になった三人である。
「しかし、でかくなったな。私の覚えてるお前って、私の肩ぐらいだったよな?」
「中学で急に伸びたんですよ」
「こうしてお話しするのは、もう、七年ぶりぐらい?」
「はい。ああ、でも、静ちゃんの手紙に、よくお二人の話が出てくるんで、僕としては、お二人は、割と身近な存在ですけどね」
小学校卒業後、彰は父親の転職という事情で鶴ヶ丘を離れた。中学に上がって、子供会の活動とも一線を画していた孝子には、やや遠い存在となっていた彰だ。その引っ越しも孝子にとっては大事ではなかった。しかし、幼い静が悲嘆に暮れているさまには、心が痛んだものだ。
数年を経て、二年前の夏のことだった。静が孝子の自室に飛び込んできて、手にした封書の差出人を指さしながら叫んだのだ。
「彰君から手紙!」
大会プログラムに載った懐かしい鶴ヶ丘の名に目を細めたところ、メンバー欄に静の名を発見し、居ても立ってもいられなくなって手紙を送った、という流れだった。手紙は、全国高等学校総合体育大会の直前に届いていた。
ちなみに、会場で会えるかも、と笑顔だった静の願いはかなわなかった。この年のバスケットボール競技は、女子と男子が完全に別会場だったのだ。二人の再会は、彰が強豪校の所属で時間が取れないこともあって、翌年の夏まで延びることとなった。以降は、静が携帯電話を持たないため、文通という古風な手段でのやりとりを続けている二人だった。




