第五〇一話 翼はセルリアンブルー(一八)
ザールでの練習については調整中につき、しばしの猶予を、とは麻弥と剣崎がメッセンジャーとなって持ち込んできた舞姫の釈明だった。対する孝子の答えは、
「ご随意に」
である。気のない様子は、喫緊の関心事の発生による。舞姫などにかかずらっている暇はなかった。何しろ、愉快で。
麻弥たちが舞姫館で額を集めていたころだろう。イギリスはマージーサイド州ベアトリス市の奥村紳一郎から電話があったのだ。那美にスマートフォンをプレゼントしても大丈夫だろうか、と彼は問い合わせてきた。奥村の所属するプロサッカーチーム、ベアトリスFCに宛てて那美のエアメールが届いたのが全ての始まり、という。
「僕がどこにいるかわからなかったので、取りあえずベアトリスに送ったみたいです」
「那美ちゃんも危ないことをするね。紳ちゃん、ファンレターとか読まずに捨てそうじゃない」
「いえ。捨てませんよ。必要ないので、持ってくるな、とあらかじめ言ってます」
「もっと悪質じゃないの。ちなみに、那美ちゃんの手紙は、どんな縁があって、紳ちゃんの元に届いたのかね?」
「それが、私は奥村紳一郎のガールフレンドだ、必ず取り次ぐように。取り次がないと移籍させるぞ、って封筒の裏に書いてあって。事実か、ってスポーツディレクターが手紙を持って飛んできました」
この時点で孝子の脳裏に舞姫の居場所は消失していた。
「で、あの子、何を言ってきたの?」
「付き合ってあげるから、連絡用のスマートフォンを買ってほしい、と」
あげる、だの、もらう、だの、と那美との間で奥村についてやり合ったのは、いつだったか。ざれごとではなかったわけか。よくやる。
「紳ちゃん。買ってあげるの?」
「いえ。あの、神宮寺さんが、前におっしゃっていたじゃないですか。おうちの決まりで、高校を卒業するまではスマホを持てない、って」
「よく覚えてたね」
「なので、問題があるんじゃないかと思って」
「あるある。うちは母が絶対なんだ。下手に動いていたら、那美ちゃんの立場も危なくなってた。よく分別したよ、紳ちゃん」
「はい」
「わかった。この義姉に任せなさい。悪いようにはしない」
あおった手前、一肌脱ぐか、と考えたものの、具体的には、何をどうすればよいのか。強行突破は孝子の得意とするところだが、今回ばかりは相手が悪かった。神宮寺家の当主、神宮寺美幸は大恩ある養母だ。頭が上がらない。計を用いる必要があった。すなわちカラーズの誇る詐欺師あるいは寝業師を招聘する。麻弥たちがやってきた、ということは、舞姫館の集まりも散会しているはずだった。
「もしもし。今、大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
概要を話すと、出てくる、出てくる。奇計のオンパレードだった。
「那美さんがスマホを要求したくだりは、なしにしましょう。おばさんはきちんとした方なので、そういう奔放な振る舞いを好まれない、と思います」
「私も、そう思う」
「その上で、二人は真剣に交際しているようだ、と神宮寺さんは見たことにしてください」
「違うよ。どっちとも、ねんね。おままごとだよ」
「実際の二人が、どうか、なんて、この際、関係ありません」
真剣に交際する二人が、エアメールしか連絡手段を持たないのは、あまりにもふびん、といえる。家の決まり事に反するとは重々承知の上でお願いしたい。那美にスマートフォンの所持を認めてあげてはくれまいか、と願い出る月下氷人こそ、尋道が孝子に振った役どころであった。
「おばさんが受け入れやすいよう、あえて厳しい制限を同時に提案してみるのも有効かもしれません」
「どんな?」
「奥村君と連絡を取るためのスマートフォンという建前なので、外への持ち出しは禁止です。それから、受験生ですよね、那美さん。僕たちが高校生だったころに受けた模試を、あの人も受けていると思うんですが、目に見えて成績が下がったら、スマートフォンは没収します。モニタリングアプリの導入も、先手を打っておいてはいかがですか」
「本当に、詐欺師」
「そんなに褒めなくてもいいですよ」
しれっとした声が受話口から聞こえてくる。
「褒めてない」
「そうだ。神宮寺さん。那美さんには、しゃべらせないようにしたほうがいいです」
「その心は?」
「余計なことを言って、おばさんの不興を買う可能性が高いので」
「言うねえ。でも、そのとおりだと思う。ありがとう。やってみる」
「はい。ああ、あと、潮時を見誤らないように。ご武運を」
献策を逐一実行していけば、まず成功は疑いないように思われた。持つべきは悪知恵の働く懐刀なのだ。通話を終えたスマートフォンを軽く掲げて、孝子は尋道への敬意とした。




