第五〇〇話 翼はセルリアンブルー(一七)
一通り、快いさざめきを聞いた後に、孝子は、はたと手を打った。
「剣崎さん。オープニングムービーは好評なようですし、次をお願いします。今後の活動について、何かあるんですよね」
「わかりました」
全員が居住まいを正す。孝子も自席に戻った。
「ザールで練習をやりませんか」
ザールこと高鷲地所ザールは、新舞浜トーア内に所在する劇場の名だ。神奈川舞姫のホームアリーナである。
「いつです?」
孝子の問いに剣崎は一〇月中旬の一日を告げた。と、同時多発のうめきを舞姫たちが上げた。
「何?」
同じ円卓の尋道に問うと、
「日本リーグの開幕日です」
だ、そうだ。確かに、うめきたくなるのも、わかる。が、剣崎も好きこのんで、その日を選定したわけではあるまい。事情が、あるはずだった。
「日が悪いのは重々承知していますよ。ただ、舞姫さんが勢ぞろいしてからホームでの初戦までに、ザールの空いている日は、この日しかなかったんだ。見てください」
剣崎がタブレットを操作した。テレビの画面に映し出されたのはザールの舞台だ。
「皆さんが、これまでにプレーしてきた経験のあるアリーナや体育館とは、かなり造りが違っていますでしょう」
客席側に当たる一方向だけが大きく開いた舞台の形状を、剣崎は示して言う。
「特に、奥の壁面のスクリーン。こいつが、試合中、目に入って邪魔になる可能性があるんじゃないか、と個人的に気になってましてね。絶対に実地検分はやっておくべきだ」
「それでも、さすがに、当日は」
声を上げたのは井幡だった。
「ウオーミングアップがてらにどうですか。開幕戦は、お隣の大港区でしょう。早いうちなら、なんとかなりませんか」
舞姫のスタッフたちに動きはない。音楽家の言は、もっとも至極と思われるのだが、はなから諦めていやがる。……果断は、いい意味においても、悪い意味においても、孝子の特長的な性質の一つだった。そして、この特性に合致しないものは、敵視の対象となる。
「貴重な機会だと思うんだけどね」
食堂に、重低音が響いた。
「別に、いいか。困るのは、あなたたちだし。やらないなら、やらないで」
剣崎のみならず、その場の全員が凍り付いた。構わず、続ける。
「剣崎さん。お話は、以上ですか?」
「え、ええ」
「じゃあ、終わりですね。帰ります」
孝子は立ち上がった。他には一瞥も与えずに食堂を出る。
「ケイティー」
声に、ちらりと顧みた。剣崎がいた。カラーズの三人の姿は見えなかった。居残って事態の収拾に動いているのだろう。好きにすればよい。
「まあ、厳しいだろうな、とは思っていたんで」
「そうですか」
つまらぬ報告などしなくてよい。再び、歩きだす。
「実は、関も、来る、って言ってたんですよ」
小走りに駆け寄ってきた剣崎が言った。
「関?」
口走った瞬間に、思い出していた。舞姫が歌舞に使用する楽曲、『Shooting Star』を歌う男性アイドルグループ、Asterisk.のリーダーこそ関隆一、その人である。
「ああ。あの方。歌舞を見に、ですか?」
「ええ。あと、あいつ、まだザールを見てないんで。Asterisk.でザールの舞台に立つ時に備えて、いろいろチェックしておくつもりだったんでしょう」
これも余計な報告だった。孝子の知ったことではない。
「剣崎さん。麻弥ちゃん、帰りは乗せてあげてくださいね」
麻弥とは海の見える丘から同じ車に乗ってきたが、構わず置いて帰る。送ってやってくれ、という手前勝手なのである。
「ごきげんよう」
立ちすくむ剣崎を残して、孝子は舞姫館を後にした。悠々とした足取りには、微細な後ろめたささえも混入していなかった。そういう女である。




