第四九七話 翼はセルリアンブルー(一四)
孝子にとって三年ぶりの山梨県国府市だ。前回、訪れたのは、全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会の開催地として。今回は、日本女子バスケットボールリーグが主催するサマーシリーズの開催地として、である。
舞姫は移動日なしでサマーシリーズに参加するため、孝子も同乗するバスは直接、会場の国府スポーツ公園に乗り付けた。
「おーい。麻弥ちゃん。うちのバスだけちっちゃいぞ」
バスの最前列に陣取っていた孝子は、降り立つなり、続く麻弥に小声で呼び掛けた。先着していた他の参加チームのバスを眺めた感想だった。
「うん。やっぱり、ほとんどのチームの母体が大手だけあるよな。大型ばかりだ。うちのは中型」
「ラッピングも、しっかりされてるしね」
「舞姫も、いつか、ああいうバスに乗らせてあげたいねえ」
背後からの声はみさとだ。
「バスって、高いんでしょう?」
「買わないよ。ああいうのは、協賛企業に運用も含めて、お願いするものらしい。そんな声が掛かるぐらいに名を売れ、ってこった」
みさとの視線が動いた。
「ああ。でも、あのチームは製造も含めて、全部、自前でしょうなあ」
駐車場に乗り入れてきた赤い車体の側面には、「NAGICO Hummingbird」とあった。世界に冠たる自動車メーカー、ナジコ株式会社を運営母体とするナジコハミングバードのチームバスだ。するする近づいてきて、隣の駐車スペースにとまる。
と、スーツ姿の女性がバスを飛び出してきたではないか。
「カラーズさん!」
ぴんときた。長沢を介してすがった松波正治が動いてくれたに違いなかった。
「大丈夫。多分、私」
ぎょっとしている麻弥とみさとを制し、ずいと出る。引っ詰めに、長身の姿勢のよさが印象的な相手だった。
「初めまして。カラーズの神宮寺と申します」
「こちらこそ、初めまして。ナジコハミングバードのヘッドコーチを務めております、芦田絵里香です」
「芦田さま。もしかして、松波さまから、何か?」
「え、ええ。そうです。例の選手、ですが、その気があるなら、カラーズさんが紹介できる、と言ってるぞ、って。お話を、お伺いしても?」
「ええ。どうしましょう。立ち話もなんですし。そうだ。ナジコさんのバス、見せてもらっても、よろしいですか?」
「どうぞ。おーい。私には構わないで。動けー」
乗降口の周囲にたむろするナジコの選手、スタッフに向けた芦田の声が飛んだ。通る声に、なんとなく、昔は選手だったのだろう、と孝子は思った。
「じゃ、ちょっと行ってくる。こっちも私には構わないで」
言い残すと、孝子は芦田に従ってナジコのチームバスに乗り込んだ。
「あ。村上に、ごあいさつさせたらよかったですね」
独立型シートの一席を占めたところで芦田が言った。
「いえ。後の予定が詰まってるでしょうし、お構いなく」
村上が誰だかわからないので結構だ、とは言えなかった。ちなみに、後で確認すると、村上とやらは元「中村塾」生の村上晴美であった。
「お茶とミネラルウオーター、どちらか、飲まれますか?」
「お茶を、お願いします」
車載の冷蔵庫から取り出されたペットボトルを受け取って、孝子は感嘆である。
「さすがはナジコさん。バスに冷蔵庫があるんですね。舞姫も、いつか、こんなバスに乗らせてあげたいです」
「恐れ入ります。さて」
芦田が、小さくせき払いをした。
「イライザの件、ですね」
「はい。実は、だいぶ前になりますが、イライザに接触したんですよ。その時は、興味がない、って振られましたが」
「ええ。ただ、気が変わったみたいなんです。というのも武藤。武藤のプレーぶりと人間性に触発されて、日本への親近感が増したようで」
「ああ。確かに、武藤は、よくやってますね」
何度も、芦田はうなずいている。
「では、どのチームでプレーするか、なんですが、やはり、一度、声を掛けていただいているナジコさんに、まずはあいさつ申し上げるのが筋でしょう。幸い、那古野女学院の松波先生と長沢を通じて、御社の松波正治さまを存じ上げておりましたので、ハミングバードさんへの仲介をお願いした次第です」
「なるほど。事情はわかりました。では、イライザとの交渉を開始したいのですが、手はずを整えていただいても?」
「安んじて神宮寺孝子にお任せください」
どうやら、うまくいきそうな気配であった。瞳の言っていた鬼に金棒を、ナジコは手にしそうだ。芦田との面談では、ついに問われなかったので明らかはしなかったが、舞姫にも二人の外国籍選手、アーティ・ミューアとシェリル・クラウスが加入する。
変革の時が日本リーグに迫っていた。高鷲重工アストロノーツとウェヌススプリームスによって敷かれていた二強体制が終わり、神奈川舞姫とナジコハミングバードによる新・二強体制が始まるのだ。黒船来航の衝撃を思えば、これは、決して大言壮語とはならないだろう。




