第四九四話 翼はセルリアンブルー(一一)
一見では黒一色だが、目をこらすと、違う。上半分にちりばめられているのは星だ。夜空なのだ。かすかな動きも見られない下半分は湖である。その中間に、対岸で暮らす人々の営みの証が点在している。Colours of Sealthの誇る、一大リビングダイニングからのパノラマが、そこにはあった。
「夜は、いまいちだよ」
ガラス窓にへばり付かんばかりだった静、春菜、美鈴の元に倫世が来た。
「どこが。すごいじゃんか」
「湖、真っ暗でしょう。半分ぐらい、視界が塞がれて。やっぱり、明るいうちがいい。明日の朝を、お楽しみに。お茶、入ったよ。女子会としゃれ込もうぜ」
ダイニングテーブルの上には、熱い茶の入った人数分の湯飲みと、ぼた餅の盛られた大皿が置かれていた。倫世の夫、川相一輝は遠征に出て不在である。文字どおり、女子だけのお茶会の始まりだった。
「こんなもの、こっちじゃ、なかなか食べる機会もなかろ?」
「ないな。少なくとも、こっちで見た記憶はない。ミッチ。これ、うまいな。わざわざ取り寄せてくれたんか?」
「何を言ってるんだい。私が作ったんだよ」
「まじか!」
一つ目のぼた餅を食べ終えた美鈴が、二つ目を手に取って、と、動きを止めた。
「ミッチ。さては、料理上手だな?」
「それほどでも、ある」
「和食もいける?」
「うん。うちのゴリラが洋食嫌いなんで、もっぱら」
むうん、とうなりながら、美鈴は二つ目のぼた餅を平らげた。眉間には、深いしわが刻まれている。
「ミッチよ」
「なんです?」
「私が、ここに居候したい、って言ったら、受け入れてくれるか?」
思いも寄らないことだった。一体、美鈴の真意はなへんにあるのか。
「年増さまは、LBAでも名の知れた存在なんでしょ? ソアに大出血させないといけなくなるけど、できるかな」
当事者たち以外は息をのんでやりとりを眺めている。
「ん? ああ。トレードじゃないよ。フリーエージェント。アリーがサラマンドにいるうちは、出ていくつもりはない。でも、あの人もおばさんだしね。あの人が辞めるころには、私もフリーエージェントになってるだろうし、その時の話」
アリーことアリソン・プライスは、美鈴をミーティアに引き上げてくれた大恩人だった。その人物への義理を欠くようなまねはしない、という美鈴の宣言である。
「いいぞう。そういう礼節は大好物さ。部屋なら余ってる。おいでよ」
「では、お言葉に甘えて」
受けたのは、美鈴ではなく、春菜だった。
「は。いきなり、どうした、春菜」
「いえ。こちらが、あまりに優雅な暮らしをされているもので、うらやましくて、つい。瞳ちゃんだけじゃありません。静さんはアートのおうちですし、サラマンドに行った時に寄らせてもらいましたけど、アリーも、いいおうちに住んでますよね。それに引き換え、私なんて、場末のホテル暮らしですよ」
春菜のアメリカでの滞在先は、ロザリンドの中心から車で三〇分ほどの場所にあるホテルだ。スプリングスが選手寮として借り上げているうちの一室に住んでいる。
「もっと状況を見極めて動けばよかった」
「アーティ・ミューア例外条項」の適用を受けた春菜は、ドラフトを経ずしてロザリンド・スプリングスに入団した。つまり、需要と供給が一致さえすれば、それ以外のチームを選択できた、という嘆きであった。
「そういうわけで、倫世さん。その節には、よろしくお願いします」
「あ。悪い。北崎は駄目」
静、美鈴、瞳らは、春菜に対抗する力を得るため、アメリカに渡ってきた、と聞いている。その春菜と同じチームで戦うなど、できない相談だろう。倫世の指摘だった。
「年増さまは、北崎と日本で同じチームでしょう? 年増さまの先約がある以上は、北崎を受け入れるわけにはいかないな」
「じゃあ、こうしましょう。美鈴さんはレザネフォルに行って、私がこちらにお世話になる、と。瞳ちゃんとは日本のチームは違いますので、これで解決です」
「嫌だ。私はミッチの和食が食べたいんだ。絶対に、譲らない」
「だって、さ。私としても、ここまで買われちゃ、邪険になんてできない。悪いね。さて。となると、だ。年増さまは、早速、明日から気張っていかないとな。シアルスがよだれを垂らして欲しがるような選手にならなくちゃ」
「任せろ」
話の区切りとしては、適当であったろう。女子会の関心は明晩のオールスターゲームへと移っていった。MVP獲得を堂々、宣言する美鈴に、必ず邪魔する、と息巻く春菜に。さて。どうなるやら。




