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未知標  作者: 一族
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第四八話 姉妹(一)

 舞浜市立鶴ヶ丘高等学校女子バスケットボール部を指して、「神奈川の奇跡」という呼称が用いられだしたのは、おととしの全国高等学校総合体育大会の後からだ。毎夏に行われる全国高等学校総合体育大会への出場は初となる鶴ヶ丘高校女子バスケ部だった。ちなみに初陣の結果は二回戦敗退である。高校女子バスケットボール界の最強豪、那古野女学院高等学校バスケットボール部と対戦し、四七対一三八という、三倍の得点差を付けられる寸前の大敗を喫した。

 くだんの呼称の言い出しっぺは、那古野女学院高等学校――ナジョガクの大エース、北崎春菜であった。鶴ヶ丘高校をなぎ倒した張本人は、普段は黙殺する取材に応じて、こう語ったのだ。

「あれほどの人たちが公立に集まるなんて、ほとんど奇跡じゃないですか。鶴ヶ丘はいいチームになりそうですね」

「奇跡」の「き」の字すらも見当たらない鶴ヶ丘の戦績ではないか。誰もが首をかしげたが、北崎春菜はナジョガク史上の最高傑作と称されるプレーヤーだ。ナジョガク史上の最高は日本の女子バスケ史上の最高に他ならない。その春菜が言うのなら……。若干名が県選抜のメンバーとして参加した秋の国民体育大会は初戦で敗退。冬の全国高等学校バスケットボール選手権大会は出場権獲得に失敗。相次ぐ鶴ヶ丘の失態に周囲は半信半疑となりながらも、「神奈川の奇跡」は徐々に浸透していった。

 春菜がたたえたのは、この三人だ。

 神宮寺静。上背こそ一六五センチと、バスケットボールをするには十分ではなかったが、類いまれな運動能力を持つポイントガードだ。ただし、小学校、中学校と専門的な指導者に出会わなかった、故に身に付けたシュートの左右両打ち「スイッチシュート」など、悪癖も目立つ未熟な選手、とされていた。ナジョガク戦でも、時折、光るプレーを見せるものの、全体を通しての印象は薄い。それでも春菜は静の可能性を見逃さなかった。

 須之内景。この初心者は、試合どころかベンチにも入っておらず、観客席でチームに声援を送っていた。景は中学校までバレーボール部に所属していた。県選抜レベルの実力を持ちながら、怒号飛び交うコートを逃げ出し、高校では部に所属していなかったが、心機一転、バスケ部に入部したのだ。一八六センチの長身と抜群の身体能力を持つ少女の立ち居振る舞いは、はるか観客席にあっても、しっかりと春菜の目に留まっていた。

 長沢美馬。女子バスケットボール部の顧問を務める、この人は、現役時代、無名だった。進学した舞浜大学で各務智恵子の薫陶を受け、指導者の道を志してからも、目立った実績はなく、引き続き無名のままだ。もちろん名のあるなしで春菜が人物判定を誤るはずもない。

「強いところの多い神奈川県を勝ち抜いてきたんですよ。公立の高校を率いて。その点で、まず、長沢先生が非凡な指導者だとわかるでしょう。あのときの鶴ヶ丘は、選手の質、層共に、はっきりとレベルが低かったです。ナジョガクと、あのレベルの高校がやれば、普通は三〇〇点コースですが、そうはならなかった。長沢先生は正しいバスケットで弱兵を巧みに用いました。長沢先生は名将です。その名将が指導する以上、静さんも、須之内さんも、必ず伸びます。三人が鶴ヶ丘高校に集ったのは奇跡ですが、その後は、必然ですね」

「神奈川の奇跡」が、ぴったりと鶴ヶ丘高校女子バスケ部になじんだころ、鶴ヶ丘のことになると冗舌な春菜による述懐が、これだった。

 実際、長沢は二人を見事に教え導いている。静への長沢の指導で象徴的なのは、悪癖とされた「スイッチシュート」をやめさせなかったことだ。トレーニングに使える時間は有限だ。例えば、六〇〇回分の練習時間しか取れないのであれば、左右で三〇〇回ずつをこなすより、どちらか一方で六〇〇回をこなしたほうが、精度の向上には効果的である。しかし、長沢は、お前がやりやすいなら続ければいい、と言って「スイッチシュート」を許した。

「明らかな間違いでなければ尊重する」

 自主性を尊ぶ長沢の下で、ついに静は「スイッチシュート」をものにし、全国屈指の司令塔へと成長を遂げたのだ。

 一方、静の強引な勧誘で、渋々とバスケ部の練習を見学しに現れた景に、長沢は、面白そうだと思ったなら、やってみたらいい、とだけ伝えた。決して、強引に勧誘しようとはしなかった。当時の女子バスケ部は一七〇センチ台の一人もいない、小さなチームだった。一八六センチの景は喉から手が出るほど欲しい長身選手だ。だが、長沢は焦らなかった。バレーボールを離れた経緯を考えても、景に対して拙速は禁物とみた判断は、完全に正しい。

 一週間連続で見学に訪れた後、景は長沢に入部を希望してきた。笑いの絶えない、それでいて情熱にあふれた女子バスケ部の雰囲気に感化された、という。景の入部後も、長沢は慎重だった。素晴らしい素質を持っていても、バスケットボールの素人である。長沢は景の育成にたっぷり一年間を充てた。そして、景が二年生になった昨年、満を持して試合に投入したのだ。猛威、という表現がふさわしい活躍で、景は自らと恩師の能力、ついでに春菜の慧眼を証明したのである。

 今年の鶴ヶ丘高等学校女子バスケットボール部は、高校女子バスケ史上、屈指の好チームと目されている。三年生となって破壊力を増した静と景のコンビの脇を、一人の二年生と、一人の一年生が固める。

 高遠祥子は小学校、中学校を通じての静の後輩で、鶴ヶ丘高校にも一歳年長の先輩を慕って進学してきた。我流で学んできたのは静と変わりなかったが、なんとなく、で動き、それで事足りた感覚派の静に対して、理論派の祥子は、その動きに確かな根拠があった。

「静は直すところばかりだったけど、高遠にはほとんどいじるところがなかったね」

 長沢も認めた祥子のバスケ部加入で成し遂げられたのが、昨年の大々躍進である。夏の全国高等学校総合体育大会、冬の高等学校選手権大会で、堂々の準優勝。県選抜の主力として臨んだ秋の国民体育大会でも準優勝。

 準優勝止まりで大々躍進の表現は、普通に考えれば過言だろう。体育系の学科を持つわけでもない、普通の公立校である鶴ヶ丘の躍進は、確かに刮目すべきことだ。それにしても準優勝止まりである。大々が冠された理由は、対戦相手となった那古野女学院高等学校との、一歩も譲らぬ接戦だった。北崎春菜の入部以来、彼女が出場した試合ではただの一度も辛勝を経験していなかった最強ナジョガクと、互角に戦った――その一点が大々躍進とたたえられたのだ。

 ナジョガクには静より一歳上の春菜は、もういない。

 一方の鶴ヶ丘には、一人の一年生、静と祥子の後輩の伊澤まどかがいる。小学校、中学校を通じての二人の後輩だったまどかは、二人の先輩が成し遂げられなかった全国中学校バスケットボール大会への初出場と初優勝を、同時に達成した逸材中の逸材だ。強豪校の誘いを断って、静と祥子と共にバスケをするために鶴ヶ丘にやってきた。

 鶴ヶ丘に隙なし。どれほどの圧勝劇が見られるのか。それが、今年の夏の大方の興味だった。

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