表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未知標  作者: 一族
487/747

第四八六話 翼はセルリアンブルー(三)

 芳しくなかった、というのが、実感になる。五月に受験した司法試験予備試験の短答式試験に関する成算だ。また来年、か。そう漠と考えていた矢先だった。孝子の元に合格通知書が届いた。受かった以上は、次を目指さざるを得ない。がり勉を再開する。場所は、いつもの舞浜大学千鶴キャンパスは教育人間学部棟の五階、各務智恵子の教授室である。

「こりゃ。お前は、また、サボって」

 朝一の一服がてら、椅子の上で反り返っていた時だ。部屋の主、各務の声が室内に響いた。

「各務先生。ノックしてください、って言ったでしょう」

「ここは私の部屋だ、と言っただろう」

 見合った二人は、同時に噴き出す。

「連休明けぶりですね。新米ヘッドコーチは、いかがですか?」

「もうそんなにたったか。佳世に聞いてると思うが、オーストラリア遠征は中核がいないなりに、なかなかだったぞ」

「あの子、愚痴ばっかりでしたよ。知ってる人が各務先生しかいなくて、話し相手がいない、って」

「なんで、私がいるのに、話し相手がいない、となる」

「おっかないので、嫌、だそうです」

「ばかが。そっちは、どうだ?」

「短答式、受かりました」

「何! でかした!」

 のしのしとやってきた各務は、孝子の頭をなでる。

「次は、いつだ?」

「七月です。引き続き、お世話になりますね」

「いくらでも使え」

 その後も各務は、そうか、そうか、と一人悦に入って、にやにやしている。孝子の前進がうれしくて仕方ないらしい。気のいいおばさんだ、と釣られて孝子もにやついていたところに、来客だった。

「あ。お姉さん」

 須之内景が長身を折りかがめるようにして教授室に入ってきた。

「須之ちゃん。お久しぶり。佳世君め。そういえば須之ちゃんがいるじゃないか」

「孝子。景は呼んどらん。教職課程ってのは忙しいんだ」

 全日本には話し相手が、と佳世がのたまった愚痴についての疑義であったが、即座に各務の否定だった。

「あ。そうなんですか。いや、ね。佳世君が、全日本で話し相手がいない、って嘆いてたから、須之ちゃんがいるじゃない、って思ったんだけど。参加してなかったんだ。ごめんね。最近、試験勉強にうつつを抜かしてて、バスケのことに疎くて」

「そうだったですか。はい。大丈夫です」

 元々、意気軒昂な娘ではないが、今日の景は、少しおかしい。はた目にもわかる、しけた面で、たたずんでいる。

「どうした。お前」

「いえ……」

 いえ、ではない。孝子は手荷物をまとめて立ち上がった。

「各務先生。私、図書室に行ってきます」

「そうか。すまんな」

 各務の声と景の黙礼に送られて、孝子は教授室を出た。言葉どおりに図書室に向かい、がり勉の開始だ。昼食の時間まで、ひたすら励む。

 三時間がたった。もう話も終わっただろう、弁当はいつもどおりに教授室で、と考えて戻ってみると、案の定、教授室の室名札は「帰宅」表示になっていた。

 入室して、ぎょっとした。各務は在室していて、応接セットのソファで反り返っていたのだ。

「こら。サボるな」

「サボりたくもなる」

 何事か、起きたようである。室名札は、あえて、の可能性があった。

「各務先生。どうされたんですか?」

「景と、美馬だな。いや。美馬のほうは、いいんだ。景だ。あいつは、大成せんな」

 教育者らしからぬせりふが出てきた。

「座れ」

 言われるまま、孝子は応接セットに着き、各務に正対した。

「あいつ、土日で那古野に行ってたんだと。美馬に頼まれて。留学生対策でな。正直、いくら留学生対策だろうと、景に高校生の相手をさせるのは役不足なんだがな」

 須之内景は、大学を卒業した後は、那古野女学院に教員として赴く予定になっていた。予行演習の意味合いも含めた招集だったのであろう。

「そっちは、うまくいったんだ。その後さ。松波さんのところに厄介になったそうだが、そこに、ご子息がいらっしゃってな。どうも、美馬と怪しいらしい」

 長沢と松波の子息とのことが事実として、景の表情との関連は、何か。孝子には思い浮かばなかった。

 顔に出ていたようだ。各務は孝子に語って聞かせた。松波は那古野における長沢の師父だ。その人の子息との交際となれば、長沢と松波、いやさ、松波家との縁は、公私にわたって、ぐっと増す。自然、景が長沢と接する時間は減る。

「向こうでも先生と生徒を続けるつもりだったのさ」

 ようやく得心がいった。景の、あのしけた面は、自分の行く末を悲観してのものだったわけだ。なんと脆弱な神経か。あきれた。これ以上は、聞くに及ばず、だった。甘ったれの事情など、孝子は知らぬ。知らぬ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ