第四八〇話 タイニーステップ(二一)
久しぶりの来訪が珍しいスーツ姿で、おまけになで付けた前髪に、引っ詰めときては、孝子を見た尋道が目を丸くしたのも、無理はない。
「どうされました」
「ちょっと待って。これ差し入れです。食後のおやつにでもどうぞ」
正午前の舞姫館に現れた孝子は、提げてきた菓子折の袋を舞姫島の井幡由佳里に手渡し、改めてカラーズ島に戻った。
「斎藤さんのところに行ってきた」
「ああ。陣中見舞いに」
「いや。ご報謝。面倒を引き受けてくれたんだし」
「なるほど」
「郷本君は、斎藤さんのお母さんには会ったこと、あるんだっけ?」
「ありますよ。斎藤さんに貫禄が備わったような方ですよね」
「そう。麻弥ちゃんに司法書士と行政書士を取らせて、最終的には斎藤さんのパートナーにする、って息巻いてたよ。当分、帰ってこないかもね」
「ほう」
尋道がうめいた。
「『三輪車』どころか『一輪車』になりそうじゃないですか」
「なんの話?」
尋道の「車輪談話」を聞かされて、孝子は失笑だ。
「郷本君なら、一人でも余裕そうだけど」
「どうでしょうね」
「お姉さん」
二人の傍らに祥子が立っていた。コーヒーカップの載った盆を持っている。孝子のために淹れたのだ。
「お。ありがとう」
「お姉さん。私に、もう一度、カラーズのお手伝いをさせてください」
伊澤浄にまつわって、孝子がまどかを粉砕した際に、とばっちりで舞姫に返されていた祥子である。
「私の籍は、依然、カラーズにあります。お役に立たせてください」
孝子は祥子に向けてコーヒーカップをかざした。
「さっちゃん。ガッツあるね。いいよ。ちょっと待って」
スーツのポケットから取り出した紙片が三つ。そのうちの一つを祥子に突き付けた。途中のコンビニで買ったプリペイドカードだ。
「一人でお疲れになる予定の郷本君にあげようと思ったんだけど、一つ、さっちゃんでいい?」
「どうぞ」
「よし。頑張れ。席はマヤ公のを使えばいい。当分、戻ってこられないだろうし。で、こっちは郷本君ね。お菓子をあげても、嫌な顔をされそうなんで、これにしたよ」
「いただきます」
「あ。郷本さんに贈られるものでしたら、私がいただくわけには――」
盛大なせき払いは尋道だった。はっとした祥子は、プリペイドカードを押し頂く。
「ありがとうございます。いただきます」
「それでいいんです。遠慮したって、この人は評価してくれません。むしろ、自分の厚意を素直に受けなかった、として敵意を抱く人です」
「ひどい言われようですな」
事実でしょう、と返されて、孝子はうなずく。
「あなたのことです。これ、額面いっぱい、入ってるんでしょうね」
プリペイドカードを見ながら尋道は言う。そのとおり、と孝子は応じた。
「せっかくなので、靴やらジャージーやらを買わせていただきますよ。運動をやっていたわけではないので、その手のワードローブが、圧倒的に不足してましてね」
奥村と浄のサポート時に使うつもりだ、と尋道は語った。
「私は、何に使ったらいいでしょうか?」
直立不動の祥子が言った。
「僕が業務に使う以上、ホビーには使いにくいですよね。高遠さん。英語の勉強しませんか」
「英語、ですか」
「カラーズがサポートするアスリートの主戦場って、英語圏に固まっているでしょう。よって、カラーズで英語に触れる機会は、はっきりと多いんですよ」
「わかりました。郷本さんは、英語、できるんですよね?」
「多少」
「どうやって、勉強されたんですか?」
期せずして、孝子と尋道の視線がかち合った。
「私たちのパターンは、参考にならないんじゃないかな。洋楽が好きで、意味を取ったりしてるうちにできた素養がベースなの」
「ええ。同じやり方では、一〇年ぐらいかかりますよ。何か、いい勉強法を見つけて――」
言いかけて、尋道が止まった。
「高遠さん。英語の勉強はカラーズで面倒を見ましょう。なので、カードの中身は勉強に使わなくていいです。ゴルフの道具を買うのに使いましょう。高遠さんにゴルフ場外交を伝授しますよ。功成り名を遂げた方々の、ゴルフ好き率って異常なのでね。カラーズのためにも、高遠さんのためにも、きっとなります」
尋道の魂胆は読めた。頻繁にお呼びが掛かるとかいうゴルフに、祥子を同伴するのだ。若いアスリートでゴルフ好きたちの目を引き、あわよくば自分は彼らの視界の外に逃避しよう、と考えているに違いなかった。告発すべきか。はたまた黙認すべきか。判断の悩ましいところではあった。




