第四七九話 タイニーステップ(二〇)
孝子と麻弥が交えた戦火の模様は、奥村、尋道と経由してみさとに伝わった。
「郷さんめ」
相談の形で、みさとに対処を押し付けてきた男の名を口にした。といって、責めるつもりは毛頭なかった。わずかな差ではあっても、カラーズでは新参の彼だ。相手は最古参であり、社長の親友でもある。性別の違いもあった。やりづらかろう。ここは、みさとが動くべきなのだ。社長と、その親友間で勃発した一戦の終結と、戦端となった親友氏の未熟さの解消を、まとめて面倒を見るとしよう。
開戦の翌朝、みさとはいったん外出した後、昼前になって舞姫館に舞い戻った。勤務先である税理士事務所を経営する、みさとの父母に要請した、とある事柄の承諾を携えて、だった。午後は半休を取得し、準備は万端だ。
「おいっーす。お隣さん、ぼちぼち人の出入りがあるんだね。昼間は、ほとんどいなくて、気付いてなかったわ」
取っ掛かりに、みさとはお隣さん、四月末に落成したロケッツ館の動きを選んだ。そこから話を発展させていく道筋も決めている。
「スタッフの方たちが、暇を見つけては出入りしてますね。シーズンが終了次第、ロケッツ館で始動したいそうで」
尋道の補足だが、みさとは、ちらりと彼のほうを見て、小さく目配せした。この男には、これで通じるはずだ。果たして尋道は、それ以上、何も言わずに引いた。話は脇道にそれずに済んだ。
「なるほどね。正村。ロケッツの人たち、車で来てるね。結構、いろいろとまってるよ。ちょっと、見に行かない?」
「……いい」
むっつりとしたさまは、戦中の証しだったろう。
「珍しい車も、あるみたいよ」
返事はなかった。乗ってくるもよし。その逆も、またよし。みさとはカラーズ島の自席に着いた。おっぱじめるとする。
「おいおい。こうしつこいとは、何かあるんだな、って察しなさいよ」
麻弥、無視だ。みさとは構わず続けた。
「お前、神宮寺にどやされた、ってな。ねえ、正村。これからもカラーズの業務に関わるつもりがあるなら、真剣に聞いて」
さすがに麻弥ははっとした。
「サークル活動が、なしくずしに会社になったもんで、カラーズは全員がひよっこだけど、その中でも一番は、お前。人間としてのお前は好きだし、できれば、ずっと一緒にやりたいよ。でも、そのためには、一皮むけてくれないと、困る。考えてみて。高遠さんを、カラーズだ、舞姫だ、って右往左往させることになったのも、元はといえば、お前がしっかりしてないせい。奥村さんか伊澤君、どちらか任せろ、って買って出てくれてたら、それで済んだんだよ」
ぴしぴしと決め付ける声は、通常の音量だったので、舞姫島にも筒抜けだ。中村以下は凍り付いているようだった。
「しっかりしろい。もう手弁当でやってたころとは違うの。私たち、被用者としてお給料をもらってるんだよ。なあなあじゃ駄目。正村。うちの親の事務所に来て実務経験を積んで。今のままじゃ、足手まとい」
「……首、ってこと?」
つぶやく麻弥の顔は青白い。
「違うよ。出向。繁忙期も、そろそろ終わるんで、親に頼んだんだ。新人研修をやって、一人前にしてほしい、って。お前も自分で、一人前、とは思ってないでしょう? パワーアップして、がっちり四人でスクラム組もうよ」
「……うん」
蚊の鳴くような声でも、いい兆しといえた。根は気のいい女なのだ。過度にむくれさせたりしなければ、こちらの誠意は通じるはずだった。
「よし。決まり。じゃあ、行くぞ」
「え。今から?」
「今からだよ。前のめりになる癖を付けよう。意識、大事。なんでも意識次第。あ。お前、スーツ、持ってるよね?」
みさとは麻弥の、フリースジャケットとデニムパンツという組み合わせを指して、言った。
「ある」
「よし。なら、まずは海の見える丘だな。郷さん」
「はい」
「しばらく一人で忙しくなると思うけど、よろしくお願いされて」
「わかりました。されましょう。正村さん」
「え。何?」
「神宮寺さんは、僕たちをカラーズの『両輪』と呼んでくださいました。それが『三輪車』になる日を、心待ちにしています」
麻弥は目を白黒させている。この男一流の激励なのだろうが、響きには若干の格落ち感があった。六〇点。そうみさとは評点を付けた。




