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未知標  作者: 一族
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第四七七話 タイニーステップ(一八)

 帰国の翌日から、奥村のオフシーズンは始まった。活動はカラーズが手配してくれた舞浜F.C.グラウンドで行う。舞浜F.C.は奥村が昨年まで所属していたチームだ。カラーズに依頼するまでもなく、金は払ってやる、施設を使わせろ、と連中に言えばよかったのか、と思い至り、慌てて首を横に振った奥村だった。危なかった。そんなことをしていたら、神宮寺姉妹とお近づきになれなかったではないか。

 昼下がり、身支度を整えて待っていたところにドアホンが鳴った。午後一時は、待ち合わせきっかりだ。カラーズだろう。自宅からグラウンドまで送迎してくれるそうな。

「お母さん。僕が出る」

 キッチンで洗い物の最中だった母親を制し、奥村が応対した。

「はい」

「その声は、奥村君? カラーズの神宮寺です。迎えに来たよ」

 懐かしい低音に、思わずうめいていた。

「地下駐車場で待ってる」

 奥村は地下駐車場に、文字どおり、駆け下りた。エレベーターを待つ間も惜しかったのだ。地下駐車場の共用スペースには青い車がとまっていた。車の傍らには孝子と連れの女性が立っていた。背の高い、ボリュームのあるセミロングは、正村麻弥だ。覚えているとは思うが、麻弥は孝子の親友だ。礼を失するな、と重々、尋道に念押しされていた。

 それにしても、孝子だった。楚々とした風情は、まるで変わっていない。忘れ得ぬ面影のままだ。先日は那美にうつつを抜かしていた奥村だったが、やはり、孝子は格別と思い直す。

「来た、来た。高校以来。久しぶり」

 孝子に見ほれていた奥村は、とっさの対応ができない。もごもごするばかりの醜態を隠すため、声を掛けてきた麻弥に対して、奥村は深々と頭を下げた。

「え……。なんで、そんなに丁寧なの」

「多分、佐伯のたっちゃんみたいに、私たちを忘れてるんだよ。で、礼でごまかしてるの」

「いえ。そんな。二人とも覚えてます」

「どうかなー。まあ、深くは追及しないであげようか」

「そういえば、奥村って、どんな車に乗ってるんだ? やっぱり、外車?」

 何が、やっぱり、なのかはわからぬが、奥村家の車は国産の軽自動車だ。駐車場の隅にとめてある、古びた白い車体を示したらば、麻弥は、えっ、である。

「えっ、じゃないよ。構わないで。奥村君。乗って」

 孝子が助手席のドアを開けた。

「失礼します」

 車内の空気はよどんでいた。運転席の孝子が発する無言の圧によって、その流動が阻害されているためだ。

「麻弥ちゃんさあ」

 走り始めて五分が過ぎたころだ。ぽつりと孝子が言った。

「高給取りだし、いい車乗ってる、と思って聞いたんだろうけど、世のお金持ちが全員、車に興味があるわけじゃないんだよ。よく考えて」

 後部座席の反応はない。

「むくれるな。私、間違ってる?」

 奥村が初めて耳にした孝子の重低音だったが、依然、後部座席は無反応である。

「もういい。降りろ」

 孝子は路肩に車をとめた。振り返るわけにもいかず、待っていると、後部座席の人が車外へ出ていく気配があった。

「ごめんね。あの子、車好きで、時々、ああやって、わきまえない。趣味なんて、一人で黙々とやっておけ、って」

 思ってもみなかった孝子の豹変に、奥村、声もなし。

「そうだ。那美ちゃん」

 引っ張ることなく、孝子は話題を変えた。声のトーンも元に戻っている。

「迷惑じゃなかった?」

「え?」

「あの子は、うちの暴れん坊。郷本君も、ホテルではしゃぐのを抑えるのに苦労した、って言ってたし。奥村君も、何か、無理難題を言われたりとか」

「無理難題、じゃないんですけど。電話番号の交換をお願いしたら、お持ちじゃない、って」

「うん。あの子はまだ持ってないね」

「欲しいから、買って、って言われました」

「駄目だよ」

 神宮寺家では母親の教育方針により、子女が高校を卒業するまで携帯電話を持つことを禁じている、という孝子の説明だった。ただ、奥村、既に、買ってあげる、と那美に約束していたのだが。

「お、く、む、ら」

「はい」

「何をやってるのー!」

 孝子は笑いながら続ける。自分もそうだったし、すぐ下の妹の静も、そうだった。那美だけに例外が許される法はない。そうではないか。

「郷本君は、そんな報告してこなかったけどな」

「厄介事になりそうなので、僕は聞かなかった、って」

「あの男は」

「約束、どうしたら」

「うそつきー、ってののしられたらいいよ」

「そんな」

「年俸、いっぱいもらってるくせに、スマホの一個も買ってくれないなんて、しみったれー、って」

 奥村は粘った。半ばは那美のためというよりも、孝子との砕けた会話が楽しかった故なのだが、そのせいで、

「奥村君は、ロリコーンなの?」

 とんでもない嫌疑をかけられてしまった。二人の年齢差を勘考すれば、ほとんど言い掛かりに近い。

「でも、愛に年の差は関係ないよね。そこまで熱心なら、義理の姉になるかもしれない身の私も、何か考えてあげないとかな?」

「え……?」

「そうそう。奥村君。あの子、誕生日まだだよ。一七。七月二日まで、あと一カ月半待って。淫行。気を付けてね」

「神宮寺さん……!」

 奥村をめった打ちにして、うはははは、と孝子は愉快痛快の様子である。その横顔は、いらずらっぽい笑みで満ち満ちていた。ああいう怒声も、こういう表情も、この人のものだったのか。新たに知った孝子の一面に、奥村はただぼうぜんとするしかなかった。

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