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未知標  作者: 一族
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第四七五話 タイニーステップ(一六)

 麻弥と尋道が眉間にしわを寄せて額を集めていたころである。舞浜大学は教育人間学部棟の五階、各務智恵子の教授室に、渦中の人、孝子はいた。部屋の主が全日本女子バスケットボールチームのヘッドコーチに就任し、不在がちなのをいいことに、わが物顔で居座っているのだ。一応、公認の留守番なのだが、主の机にふんぞり返って茶を飲む態度は、ちょっといただけない。

「お前。そんなに反り返って、頭から落ちるなよ」

 ひどい姿勢でいたのだ。唐突に各務が入室してきても、繕いようがなかった。

「各務先生。ノックしてください」

 揚げ句に孝子は、こんな抗議の声を上げている。

「ばか者。ここは私の部屋だ。ああ。いい。座っていろ」

 立ち上がろうとした孝子を制し、各務は応接セットのソファに座った。

「今日は、どうされたんですか?」

「がり勉してると思って、差し入れを持ってきたんだ。サボってたがな」

「朝の一服です。各務先生がいきなり入ってこなければ、今ごろがり勉を始めてました」

「何を私が悪いみたいに言っとるか」

 豪快に笑いながら、各務は持参の紙袋をまさぐって菓子折を取り出した。パッケージのイラストから見るに、パイのようである。東京で最近はやりの銘菓とか。

「娘夫婦が、な。連休に押し掛けてきて、その土産さ」

「お裾分けですか。ありがとうございます」

「うむ。どうだ。はかどってるか」

「ぼちぼちですね。各務先生は、いかがですか?」

 一〇日後と迫った司法試験予備試験の短答式試験について見込みを述べ、孝子は各務に話を戻した。

「こっちも、ぼちぼちだ」

 こちらは、年度始めより新たに就任した全日本女子バスケットボールチームのヘッドコーチ職に関する手応えになる。

「今は、新戦力の発掘中さ。楽なのは中村君のチームを、そのまま使うことなんだ。世界一のチームで、しかも、主力が若い。私が何年やるか、まだわからんが、次と、その次ぐらいまでは十分に戦える。ただ、それをやると次が困る。美鈴やら、春菜やら、静やらが一斉にいなくなったあたりで、押し付けられたやつはたまらんぞ。新陳代謝だな」

「はい」

「半ばから合宿をやって、六月にはヨーロッパに行く。夏には、アジア選手権だ。LBAの四人は呼ばんが、その代わりに入った連中の奮起に期待、だな。そうそう。舞姫は、まどかを呼ぶぞ」

 その名は、どうでもよいが、LBAの四人は呼ばない、というせりふが気になった。

「市井たちは、呼ばないんですか?」

「うむ。実力は知れている。シーズン中でもある。呼ぶまでもない。それよりも、な」

 今夏のバスケットボール女子アジア選手権大会は、来年、オーストラリアで開催される世界選手権大会の出場権を懸けた予選会を兼ねる。バスケットボール界のメジャーといえば、ユニバースと世界選手権の二つだ。その出場権を懸ける戦いに、勝利が求められるのは、言うまでもない。

 ところが、である。全日本は昨年のユニバースに優勝したことで、世界選手権への出場権を既に得ていた。各務は、そこに目を付けた。最悪の場合、アジア選手権を棒に振ってでも、新戦力の成長を推進する、と断を下したのだ。

「国際化だよ。主力が集まれるのは大会前の、ほんの一時期だけ。そういうチームに、全日本もなりつつある。力のある者が海を渡る流れは、ますます顕著になるだろう。そいつらに後れを取らないよう国内組を鍛え、融合させるのが私の仕事、ってわけさ」

「大変ですね」

「ああ。その分、やり甲斐も格別だ。時間は潤沢ではないが、三年後、待ち遠しいよ」

「各務全日本対シェリル、最後の航海ですか。私も楽しみです」

「シェリル……? まさか、あのまま引退はすまい、と思っていたが、何かお前のほうの情報網に掛かってるのか?」

「長沢先生やおはるは、何も?」

 各務は首を横に振っている。

「シェリル、舞姫に来るんですよ。全日本に雪辱するため、日本のバスケを知るんだ、って。アートを連れて」

「なんだと……!?」

「てっきり、二人がお伝えしたと思ってました。契約事だし、外に出すのを控えていたのかもしれませんね」

「外、っていったら、美馬だって外だろう」

「いいえ。ナジョガクさんとカラーズ、提携してます」

「おっと。そうだったな。そうか。シェリルが来るか。これは、うかうかしてられんな。よし。孝子、邪魔した」

 どういたしまして、と返す暇とてなかった。各務は一目散に教授室を飛び出していった。人の血気に触れるのは、いつだって心躍るものだ。孝子は椅子に深く腰掛け直した。一服の時間はおしまいにする。各務が置いていった差し入れの賞味も先送りだった。がり勉を始めるのだから。

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