第四六六話 タイニーステップ(七)
LBAのドラフトが間近に迫っていた。とはいえ、今年、このイベントに注目している日本の女子バスケットボール関係者は、ほとんどいない。新たにLBAに参戦する日本人の二人が、共に無縁、と考えられていたためだった。
二人のうち、まず北崎春菜は、既にロザリンド・スプリングスへの入団が決定している。LBAの定めた年齢についての規約、原則としてリーグへの参加は当暦年で二二歳以上の者に限定するが、特にリーグの承認した選手については前記は適用されない、という、いわゆる「アーティ・ミューア例外条項」を逆手に取り、昨年のうちに進路を定めていた。春菜は早生まれの二一歳である。
もう一人の武藤瞳は、春菜と同学年だが、こちらは遅生まれの二二歳だ。ドラフトの対象ではあるものの、事前に掛けていたプロモーションは不発に終わって、無印の扱いとなっていた。指名はあり得ず、気のいい知己たちの計らいにすがり、最終的にはレザネフォル・エンジェルスに拾われることとなった、と日本には伝わってきている。ドラフトが終了し、対象を外れるのを待って契約だ。
「プレーヤーとしてのあいつは、問答無用で尊敬できます、が。人間としては、ちょっと、いや、かなり、合いませんね」
ロザリンド・スプリングスか。エンジェルか。この二択は後者を選ぶ、と連絡してきた瞳が孝子に漏らした言葉であった。バスケットボールを教えてやろう、と春菜が大上段に振りかざしてきたのは、瞳のLBA挑戦が美鈴の厚意によりサラマンドの地から始まる、と決まった直後の話だ。すこぶる付きで気に入らない物言いも、発言の主は世界最高峰の使い手である。これも勉強、と鼻をつまんで応じたのに、なんだ。アーティの勧誘が来るや、いい話だ、どちらでも好きに選んでいい、と放り出された。話にならなかった。
「ビッグマンとして起用させる、ってアーティは言ってくれましたけど、この際、それは、どうでもいいんですよ。あいつと長期間、面を付き合わせてるのは、ちょっと無理そうだな、って」
ひどい言われようだったが、忌避したくなる気持ちも理解できた。「至上の天才」の浮世離れした言動に、何度も振り回されている瞳なのだ。
「天才性と人間性はトレードオフの関係にあるのかもね」
「春谷もん、ひどいな」
「実際、カラーズが関わってるアスリートに、そういう人、多いよ。君の先輩の川相一輝は、とんでもない偏屈だし。奥村の紳ちゃんも、変な人、って聞くし」
「はあ」
「まあ、天才どものの話は、どうでもいいや。それよりも、須美もんだ。静ちゃんと一緒のチームになるのも何かの縁だね。重工さんに関係なく押していこうかな」
「よろしくお願いします」
そんな会話が交わされていた手前、孝子は他の女子バスケットボール関係者とは異なって、ひとかたならぬ関心をLBAドラフトに寄せていた。登校してからというもの、各務の教授室で勉強にいそしみつつ、LBAの公式サイトが配信するライブ映像を横目で見ていたほどだ。首尾よく? 瞳がドラフトで指名を受けず、エンジェルスとの契約が決定した瞬間に、祝福のメールを送ろうと待ち構えていたのである。
……気のせいだったか。ドラフトが始まって、小一時間が過ぎたころだった。シアルス・ソアの三巡目の指名を、LBAコミッショナー、アビー・ドーソンは、なんと読み上げた? ヒトミ・ムトウ、と言わなかったか? 音量を小さくしていたせいで確信がない。
孝子は勉強の手を止めて、スマートフォンをのぞき込んだ。SEALTH SOAR、HITOMI MUTOの文字が確認できた。聞き間違いではなかった。一体全体、何があったのか。思い起こされたのは、二年前のドラフトで起きた事件だ。エンジェルスへのドラフト外入団が決まっていた市井美鈴を、サラマンド・ミーティアが、ドラフトでかすめ取っていったのである。あの時、美鈴を見いだし、ミーティアを動かしたのは、かのチームの大エース、アリソン・プライスだった。瞳にも、同じような出会いがあったのだろうか。
と、実を結ぶ当てのない思案に興じるは、後回しにすべきだった。今は、押すと決めた相手の、押し、に専念する。惑乱に陥っているであろう瞳の不安を取り除くのだ。心当たりはあった。シアルスには、孝子と、カラーズと、関係の深い川相夫妻が在住している。二人は福岡海道高等学校で、瞳の一年先輩でもあった。相性は悪くない、と思いたい。
メッセージを送るや、直ちに孝子のスマートフォンが振動した。川相倫世だ。
「いいぞう。うちで武藤の面倒、見ちゃろう」
開口一番に、明言があった。
「お前、あの子のことは知ってた?」
「うん。学年が違うし、交流はなかったけどね」
「あの子、須美の出身」
「お隣さんか」
「うん。春谷出身同士、ぜひ、力になりたいの。お願いね」
「よし。武藤の連絡先、教えて。あと、私が連絡する、って伝えておいて。そうしたら、放っておいてくれていい。Colours of Sealthに、安んじて任せたまえよ」
交渉は、あっけなく成立した。さすがは孝子の幼なじみであった。単刀直入は、お手のものの倫世なのだ。




