第四六五話 タイニーステップ(六)
孝子が那美および尋道と浄の結託を知ったのは、那古野で一泊した帰途、舞姫館に立ち寄った昼下がりのことであった。
「におうな」
とっさに出てきたのは、このせりふだ。
「どのように?」
野球好きという中村が問うてきた。
「ええ。うちの末妹は、ちゃっかりした子なので。そんな、気のいい振る舞いをするなんて、どうも、信じられなくて」
「これは、お口の悪い」
「いえいえ。実際、バスケ部のマネージャーになったのも、静の妹だし、ちやほやされるはず、ってもくろみがあったからで。ねえ。高遠さん、伊澤さん」
「そんな話をされてましたね」
舞姫島の祥子が振り返って言った。
「まじか、って最初は思いましたけど」
まどかも加わる。
「ただ、郷本君が絡んでるのが、気になる。那美ちゃんごときに乗せられる人じゃないんだよね」
「そういえば、あいつは、どうした。まだ来てないのか」
「舞浜ケーブルテレビに直行。その後、小早川さんと一緒に重工野球部の中田部長と会食。午後二時出社予定」
「あ。お前に連絡してきてたのか」
「違うわ」
麻弥と、那古野行きのため税理士事務所を昨日、今日と休んでいたみさととの間に発生した掛け合いだ。
「勤怠管理を見ろ。その言い草だと、お前、自分の打刻でしか使ってないな。他の人の出退勤の状況とかもわかるんだよ。せっかく導入したシステムだし、せいぜい活用してほしいものですなあ」
孝子は不動だ。今年度はほとんど出社しないこともあって、勤怠管理システムの存在自体を忘れていたが、口にしなければ、ばれはしない。キジも鳴かずばなんとやら、である。
「あ。でも、あいつ、舞浜ケーブルテレビに、なんの用があって」
「もっさんに、伊澤君の映像がないか、調べてもらったんじゃないの? 舞経のスカウトが来るぐらいなら、中学時代の映像があっても、おかしくない。ついでに、取材させる、とでも言えば、もっさんをこき使える」
「で、中田さんとの会食に連れていってるぐらいだし、成果があったみたいだね。やあ。どんな話を持って帰ってくるか。楽しみだわ」
尋道は勤怠管理システムへの記述どおりの午後二時に戻ってきた。
「郷さん。どうなった?」
「伊澤浄君より先に報告を受けるべき人は、この場にいませんよ」
「それは、そうだ」
軽くあしらわれて、みさとは苦笑している。
「お前、いつの間に重工の野球部になんか取り入ってたの?」
麻弥が尋道のためのコーヒーを淹れながら尋ねた。使っているコーヒーメーカーは、SO101で芳醇な香りを振りまいていたやつだ。
「神宮寺さんに頼まれて、川相さんと重工さんの野球部との間を取り持ってましてね。そのどさくさに紛れて顔を売っていたのが、今回、役に立ったんですよ」
「取り持つ、って。どういう意味?」
「川相さん、顧みない方なので。先輩の不義理は後輩の進路に影響を及ぼしますから。川相のようなやつは二度とごめんだ、今後、福岡海道の生徒は取らない、とならないよう、フォローする必要があったんです。川相倫世さんの深謀遠慮ですね」
「それって、田村が川相さんに言って聞かせれば、済んだ話じゃないのか?」
「先方の事情はわかりかねます。それはそうと、神宮寺さん。那古野は、いかがでした?」
尋道は話題を、ぐいと転換させた。愚にもつかぬことを言った自覚はあるようで、麻弥は赤面している。
「うん。ナジョガクさんの練習着に、カラーズのロゴが入るよ。必要ない、って言ったんだけどね。スポンサーに対する、当然の礼儀、って松波先生がおっしゃって」
「意外に、ね」
後を引き継いだのは、みさとだ。
「天下のナジョガクさんといえども、年間の予算って、そこまで多くなくて。そりゃ、専用の体育館があったり、トータルで見たら莫大なお金がかかってるんだけども。なんと、うちが提示した金額が、女バスの予算ととんとんぐらいだったのだ。松波先生も、長沢先生も、びっくりよ」
「いいですね。北崎さんの動画や伊澤君の件と併せて、育成のカラーズをアピールできそうだ。その路線も探ってみましょうか」
「統括させてあげようか?」
「結構です。僕は下っ端で黙々とやるのが性に合ってます」
にべもなく断ってきた尋道を、孝子はじろりと見た。
「怠けるな。決めた。嫌がらせでマネジメント事業部長に任命してやる」
「変な事業部を作らないでください」
「思うさまにやって。他に諮る必要はないよ」
要領を得ない麻弥あたりに、いちいち絡まれてはやりにくかろう。フリーハンドを明言したのは援護射撃のつもりだった。
「諮ろうにも、どうせ僕一人の事業部なんでしょう?」
「部下が欲しいなら指名していいよ」
「舞姫の方でもいいですか?」
「親会社の強権発動で、嫌、とは言わせない」
孝子の横暴な発言に、舞姫島では中村が失笑している。
「では、高遠さんを」
オフィスの全員がぎょっとした。それほど意外の人選といえた。
「さっちゃん。いい?」
「は、はい」
「僕一人では手に余るときだけ、お願いします。普段は、お手数を掛けることはありませんので、安心してください」
「承知しました」
「男同士の気安さで彰君を指名するかと思った」
孝子にただされて、尋道は首を横に振った。
「高遠さん、門津造船所にいらしたでしょう。当面、密な交際相手となる野球部は、船舶・海洋事業本部付のチームなんですよ。同胞のよしみで潤滑油となってほしい、と思いましてね」
予想外の任命だったはずだが、重工内における野球部の立場と、高遠祥子の前職での任地とを、とっさに結び付けて、有用な人材を確保するとは、やはり、尋道は抜かりがない。マネジメント事業部は、彼に完全に一任するとしよう。孝子は思いを新たにした。




