第四六四話 タイニーステップ(五)
血のつながりがなした業、というやつになるのだろうか。浄が体育館に入るや、真っ先に気付いて反応したのは、姉のまどかだった。
「お前。何しに来た」
休憩に入っていたらしい。一団を離れ、まどかが近づいてきた。よく似た顔の弟と姉とが対峙した。
「見学」
「勝手に入ったのか」
「できるわけないじゃん。門のところに警備の人いたし。郷本さんに入れてもらったんだよ」
「本当に?」
疑っているようで、まどかはオフィスに向かおうとする。
「いないよ。今、神宮寺先輩を鶴ヶ丘まで送ってる」
「神宮寺先輩?」
「頭、悪いな。俺が、先輩、って呼ぶんだから、バスケ部のマネージャーやってる人に決まってるじゃん。一番上のお姉さんも、静さんも、俺は、先輩、なんて呼ばないよ」
「なんで、お前が那美さんと」
浄は答えなかった。祥子がやってきたのだ。愚姉の相手をしている場合ではない。
「祥子さん。ご無沙汰してました」
火照って、艶めいた祥子の顔を浄は見つめた。彼女と最後に間近に接したのは、鶴ヶ丘高校女子バスケットボール部が全国高等学校バスケットボール選手権大会を制した際の祝勝会になる。一年余りも前の話だ。若者にとって、一年は長い。なんらかの変化が祥子にも、と予想していた浄だったが、期待ないし不安は、いい意味で裏切られた。目の前に立つ四歳年上の女性は、学生時代と変わらぬかれんさを保っていたのである。再会は、浄にとって満足のいくものとなった。
「浄君。久しぶり」
「はい」
「で。那美さんの話はどうなった」
「え。那美さんが、どうしたの?」
その人の話は、どうでもいいので、祥子との会話を楽しみたい浄であったが、そうは問屋が卸すまい。契約金うんぬんには触れぬほうがいい、と判断し、該当部分を省略した上で、いきさつを語った。
「へえ。浄君、野球、辞めてたんだ」
「そうですよ。このばか、せっかく舞経にスカウトされたのに」
「ええ! 舞経に!?」
舞経こと舞浜経済大学附属高等学校には、全国でも有数の強豪として知られる硬式野球部が存在する。同校のスカウトを受けた事実は、浄の実力が確かなものであることの証左となろう。
「そうですよ。丸刈りにするのが嫌だ、とか。つまらない理由で」
「人ごとだと思って」
その時だ。休憩時間が終わったようで、祥子とまどかに声が掛かった。
「お前。後で説明しろよ」
「じゃあ、浄君。またね」
二人は走り去った。結局、まどかがいたせいで、祥子とはほとんど話ができなかった。口をとがらせていると、背後からの声だった。
「お待たせしました」
尋道が立っていた。
「お帰りなさい。早かったですね」
「ええ。信号のタイミングがよかったんですよ。ところで、伊澤君。ご両親は、ご在宅ですか?」
「え? ああ。父親は、だいたい定時で帰ってきますし、母親はずっと家にいるんで、大丈夫、と思いますけど」
「お邪魔しても構いませんか?」
「え。ええ」
「未成年が相手なのでね。こちらの腹案をお話しして、許諾を得ないといけません」
「郷本さん。どういった……?」
驚くべき、腹案、だった。高鷲重工の硬式野球部を頼る、というのだ。
「多少、顔が利きますので、そちらに掛け合って、伊澤君を受け入れてもらいますよ」
「就職、ですか?」
「まさか。練習生あたりになると思いますよ」
話しているうちに、思い当たった。カラーズには、アメリカプロ野球で活躍する川相一輝がいる。彼は高鷲重工の硬式野球部出身だったはずだ。
「川相一輝選手ですか?」
「あの人がきっかけとなってできた縁ですが、あの人ではありません。野球部の部長さんですね。では、行きましょう」
「あ。姉ちゃんに、後で説明しろ、って言われたんですけど、どうしましょうか?」
「冗談じゃない。舞姫の練習が終わるまでなんて、待っていられませんよ。――そう僕にどやされた、と言っていいです」
「うっす」
郷本尋道は、話しやすく、また、話せる人のようだった。全容を知るには、まだまだ材料が不足しているものの、信じて、付いていってみようか。そんな考えを固めつつある浄だった。




