第四六三話 タイニーステップ(四)
お安く、なかった。見るからに高そうなロールケーキとプリンにコーヒーを合わせると、三〇〇円どころか三倍以上の一〇〇〇円だ。
「先輩。歩きながら食べるのは、やめたほうがよくないです?」
もりもりロールケーキの長さを減らしていく那美に、一応、言ってみた。
「じゃあ、どこで食べるの」
「もうちょっとしたら、うちなんで。ついでに車も出してもらいますよ。launch padって、前はホームセンターのあったところでしょ? 結構、あるじゃないですか」
「冗談じゃない。中が見たい、って伊澤母がlaunch padに付いてきたら、どうするの。悪巧みができなくなる」
「悪巧みだったんすか。そういえば、先輩、今日は部活は?」
「ない」
新たに鶴ヶ丘高校女子バスケットボール部顧問となった部活動指導員の、家庭の事情という。
「ご家族の通院が、ちょうど、週一のこの日なんだって」
「週一で通院って、なんのご病気なんです?」
「さあ。関係ない人間が知る必要ないし」
「確かに」
二人がlaunch padに到着したのは午後五時だ。警備員に来意を告げていると、声がした。
「那美さん。どうされました」
自転車にまたがった、青いジャンパーの男性だった。
「あ。郷本さん。カラーズに用があって来た」
「今日は、僕しかいませんが」
「ケイちゃんは?」
「神宮寺さんたちは那古野です」
那古野女学院との提携話をまとめるため、とか。
「へえ。そんな話があったんだ。ジャージーとか北崎さん、もうアメリカだけど、今の時期でよかったの?」
「市井さんはともかく、北崎さんはいないほうが。ナジョガクさんと、カラーズ、舞姫とのビジネスなので」
「北崎さん、めちゃくちゃ言うもんね」
「ええ。ところで、那美さん。ぼちぼち紹介してくださいよ」
「何を?」
郷本氏の視線は浄に向いている。
「伊澤さんの弟さんだとは思うんですが。浄君ですよね」
「知ってるじゃーん」
「町内会報でお名前を拝見した程度です。ものすごいピッチャー、と。あいさつが遅れました。カラーズの郷本尋道といいます」
「伊澤浄です」
浄はぺこりと頭を下げた。
「で、この組み合わせが、カラーズにご用とは? ああ。その前に、立ち話もなんですし、中にどうぞ」
尋道の案内で二人は舞姫館に向かった。エントランスホールに入ると音が聞こえてきた。バスケットボールをプレーする音だ。浄たちが立ち入ったのは寮棟で、舞姫の選手たちは隣の体育館棟にいるそうな。
「顔を出しますか?」
「興味ない。それよりも、早く話を始めよう」
「わかりました。どこで、お話を伺いましょうかね。オフィスか、応接室か。ちなみに、どういった内容でしょう?」
「弟をプロにする」
「ほう。伊澤君、その制服は鶴ヶ丘ですよね。野球部はなかったはずですが、もしや、部を立ち上げて?」
「いえ。俺は、先輩が、野球、できるようにしてくれる、って言ってくれたんで、付いてきただけっす。で、プロになれたら契約金――」
「言うな! ばか!」
「ほほう」
動じた様子もなく、尋道はにやりとしている。
「カラーズを利用して、私腹を肥やそうとしていたわけですね。悪い人だ」
「仕方ない。郷本さんも仲間に入れてあげる」
「その前に、おそらく那美さんが考えているようにはならない、と思うので、そこだけは整理しておきましょうか」
「どういうこと?」
尋道が持ち出してきたのは税金の話だった。専門家ではないので、と断った上で、彼が語ったのは、以下だ。
「伊澤君の手に入った契約金に所得税。那美さんの手に渡った時点で贈与税。金額にもよりますが、相当、目減りしますよ」
「ええー。どれくらい?」
「詳しい額が知りたければ、斎藤さんに確認していただくとして、まあ、元の三割とか。そんなものじゃないですか」
仏頂面の見本が浄の前に出現した。
「三年待って、三割。随分と、しょぼくれたなー」
「いえ。三年では無理です。三年後の伊澤君は、おそらく、知る人ぞ知る実力派あたりなので。そんな人に高い契約金を出すプロ球団はありません」
「じゃあ、何年?」
「短くて六年、ですか」
「……もういい。帰る」
「おや。伊澤君は、どうします?」
「あ。俺は、郷本さんの話、詳しく聞きたいっす」
「では、僕は那美さんを送ってきますので、申し訳ありませんが、こちらで待っていていただけますか?」
「うっす。郷本さん。待っている間、バスケの練習を見学させてもらってもいいですか? 最近、姉ちゃんの顔、見てないんで」
「どうぞ」
実際は姉の顔などに用はない浄だった。目当ては祥子である。往復三〇分もあれば、と言い残して、尋道は那美と共に舞姫館を出ていった。祥子との会話に興ずることがかなえば、それぐらい、一瞬の間であろう。




