第四六〇話 タイニーステップ(一)
静にとって三度目となるLBAのシーズンが、来たる五月中旬に開幕する。今年は、ユニバースの開催期間とLBAのシーズンが重複しないよう、中断期間を設けていた昨年と異なり、平常どおりの日程だ。
とすると、四月初旬の渡米は早過ぎるようだが、これは二人の新参者への配慮であった。ロザリンド・スプリングスに入団する春菜と、同じく武藤瞳だ。アメリカの風土に慣れるための時間を作って、万全の状態でシーズンを迎えてもらう。
静と美鈴の先輩組に、春菜と瞳の後輩組を合わせた四人は、レザネフォルのミューア邸に滞在していた。アーティ・ミューアの厚意で、ここを拠点にミニキャンプを張らせてもらっているのだ。ミューア邸には十分な広さと設備を備えたジムがある。また、アーティの母親のジェニーは、スポーツ栄養学の大家として知られる人物だ。この人が三食の世話を引き受けてくれていた。理想的な環境といえた。
同じジムでは、アーティとシェリルのワークアウトも行われている。親子ほども年齢の離れている両者だが、圧倒されているのは常に前者だ。
「とても年齢が倍、離れているようには見えないな」
ミニキャンプとワークアウトの動きが、同時に止まったタイミングで美鈴が評した。
「ミス。失礼ね。倍も違わないわよ。私は四〇。この子は二二」
「大して違わないじゃない。やべえ。来やがった」
迫ってきたシェリルに気付き、美鈴が逃げ出す。
「私たちよりも、はるかにハードに動いてたくせに、どうして、そんなに元気なんですかね。ねえ。シェリル。退団まではしなくてもよかったんじゃないですか」
捕獲した美鈴を引っ立ててきたシェリルへの、春菜による述懐である。シェリルが、充電期間を設けたい、と称してエンジェルス退団を表明したのは、昨日の夜だった。
「一〇年以上前の私でも、一年間、戦い続けるのは、なかなかタフだったわ」
若いころに海外でのプレー経験があるシェリルだ。
「今の私では、おそらく持たない。あなたたちも、今はまだ平気でしょうけど、いずれ真剣に考えなくてはならない時が来る」
「確かに。充電期間のない生活は、いずれ厳しくなりますね。まあ、マイヒメなら大丈夫とは思いますが」
舞姫の国内組には、若手の有望株が複数人いる。「習慣のスポーツ」と呼ばれるバスケットボールで、チームの枢軸に据えるべきは彼女たちである。間違っても、一年の半分、不在の自分たちではない。彼女たちのチームは、単体でも十分な競争力を持つだろう。自分たちは出しゃばらず、助っ人にとどまるのが、よい。故に、活動は限定的となり、その負荷も、大きなものにはならないはずだ。春菜の予想だった。
「実際は、それだけやられても、いい勝負がせいぜいで、最後には、するっと勝ちを持っていかれるんだろうな」
ぽつりと瞳がつぶやいた。
「五人のうち三人が食あたりにでもなってくれたら、ようやく、もしかしたら、ってところかな」
「ヒトミのチームは、弱いの?」
問い掛けてきたアーティに向けて、瞳は首を横に振った。
「いや。日本だと一番強い。でも、マイヒメのメンバーがすごくて。無理。これで、他がいい外国籍の選手を取ってきた日には、一気に弱小に成り下がるかも」
「選手を見つけられなかったの?」
「いや。私のチームは、外国籍の選手を取れない」
なぜ、とアーティはいぶかしげだ。
「昔、日本リーグのチームが外国籍選手と契約していたころの話ですがね」
春菜が始めた。
「こぞって大きな人ばかり呼んできたものだから、日本人のビッグマンが育たなくなっちゃって。で、禁止にしたらしたで、今度は、世界のビッグマンに手こずるようになっちゃって。そこで、私が提言したんですよ。ヒトミのチーム、THIアストロノーツと、もう一つ、ウェヌススプリームスという日本の強豪二チームは外国籍選手との契約を禁止した上で、その他のチームについては契約を解禁しようじゃないか、って」
「ああ。他のチームのビッグマンと競わせよう、って?」
「そのとおりです」
「そんな面倒なことをしなくたって、リーグに来たらいいじゃない」
「アート。日本人の体格で、LBAのビッグマンは務まりませんよ」
「普通はね。でも、エンジェルスなら使うわよ。私が使え、って言えば」
「ワールド・レコード・アワード」の勝者、チームを超越したスーパースターならではの極言であった。
「ヒトミは日本のビッグマンでしょ? エンジェルスに来なさいよ。シェリルはいないし、ちょうどいいじゃない。ロザリンドなんて、グレースがいるんだし。絶対に、ビッグマンとしては使われないわよ」
アーティが口にしたのは、ロザリンド・スプリングスに所属するグレース・オーリーの名だった。アメリカ代表のスターティングフォワードは、すなわち世界屈指のビッグマンである。
「ちょっと、待ってください」
春菜が慌てている。そうだろう。春菜が瞳をスプリングスに誘ったのは、同じチームで身近にあって、彼女の成長を促進したい、という思いがあったためだ。
「……いや、でも、本当に中で使ってもらえるのなら、エンジェルスもいいかもしれませんね。いえ、ね。当初の予定では、シェリルの薫陶を受けて、一皮むけるであろうアートの対応を、ヒトミにやってもらうはずだったんですよ」
「なんですって」
じろりとアーティは瞳を見る。
「まあ、待って。ただ、LBAでビッグマンとしての研さんを積めるなら、話は別ですよ。ヒトミにシェリルをマークしてもらって、私がアートを迎え撃つこともできます。ヒトミ。任せます。ロザリンドでも、レザネフォルでも、好きなほうを選んでください。さすがの私でも決め切れません」
LBA挑戦を志しながら、チームが見つからず、苦悶していた瞳に、最初に声を掛けたのは美鈴だ。サラマンド・ミーティアのGMだかに掛け合って、キャンプへの参加が決まった、とか、そんな流れと静は聞いていた。次が、春菜だ。ロザリンド・スプリングスでの共闘を持ち掛けた。そして、今、アーティの勧誘である。波瀾万丈にも程があった。
瞳はぽかんとしている。さもありなん。気の毒な、としか言いようがなかった。




