第四五六話 乱れ髪(一九)
明けて、四月一日。開業を目前に控えた新舞浜駅至近の巨大複合商業施設、新舞浜トーアにおいて、神奈川舞姫の設立会見が行われる。会場は同所の誇る劇場、「高鷲地所ザール」だ。破格の待遇は、トーアの取締役に名を連ね、会見にも同席する舞浜ロケッツ社長、伊東勲によってもたらされた。舞姫とロケッツは提携関係にある。故の援護射撃だった。
「やあ。いいね。いいお部屋。来てよかったね」
孝子は隣の尋道に言った。
「はい。格別です」
受けた尋道も、大いにうなずいている。二人が並んでいるのは、劇場の側壁に設けられたボックスシートだ。上手、下手に三つずつ、縦に配された部屋のうち、最上部の一室である。奥行きがある二〇帖ほどの部屋は、入るなり目に付く豪勢な応接セットが印象的だった。
孝子がボックスシートに入り込んでいる理由は、以下になる。この日の会見は、伊東率いるロケッツ勢によって、完璧な次第が作り上げられていた。カラーズの出る幕は、どこにも見当たらない。顔は出したはいいが、手持ち無沙汰の続いていた孝子は、ボックスシートの見学を思い付き、伊東に強硬にねだった。止めに入った麻弥には、
「来なくていいよ」
と言い放っている。
「面白そうですね。僕もご一緒していいですか」
賛同してきた尋道の同道を許し、かくして二人のボックスシート行きが決まったのだった。
「何か、飲み物でもお持ちしましょうか」
声は、案内役として二人の脇に付き従ってきたロケッツ職員の田所だ。小柄な中年の男性である。
「お忙しい中を、僕たちのわがままに付き合っていただいているのに。そこまでしていただくわけにはいきません。お気持ちだけ頂戴いたします」
尋道が頭を下げた。孝子も倣って黙礼だ。
「いえいえ。実は、私も、こちらに入るのは初めてなので。いい機会を提供していただきまして、かえってありがたいぐらいです。どうぞ、お気になさらず」
まんざらの手心でない証拠は、ボックス内を物珍しげに観察する彼の様子でうかがえた。
田所の応対を尋道に任せて、孝子は部屋の奥へと進んだ。客席側にせり出した部分が観覧席になっている。四脚ずつの二列、並んだ椅子を避けて、手すり壁に取り付いた。身を乗り出して、舞台を眼下に見る。既に設営は完了していて、今は無人だ。一方、舞台の正面、一部のみが開放された客席は、会見を取材に訪れた人々で埋まっていた。一〇〇になんなんとする人数は、舞姫の注目度が高いことを示している。上々の滑り出しといえた。
聞くとはなしに聞いていた背後の会話は、ボックスシートの活用についてのものへと変わっていた。巧みに尋道が誘導したふうであった。これだったか、である。昨年、劇場を内覧した際に、ボックスシートを活用すべき、と提起していたのは尋道だった。その時はボックスシートの中にまでは入れなかったので、孝子のわがままに乗じて検分しようとしたに違いない。ついでに、ロケッツの手の内も探るつもりか。
「とにかく、派手に、とことんやれ、と伊東は言っています。この箱が、五〇〇〇人収容で、劇場としては世界最大級なんだそうですね。ただ、これは、アリーナとしては小さい。当然、入場料収入に響いてきます。そこで、このボックスの出番です。つまり、ここをスイート的に使って、客単価を上げるわけです」
「なるほど」
「例えば、ここの上層階にホテルが入ってるんですが――」
「『新舞浜トーアホテル』ですね」
「はい。そことのコラボプランを、伊東が企画中です。ホテルが提供する食事を楽しみながら観戦し、ゲームが終わったら、そのまま宿泊するわけですね。これは、相当、引き合いがあるな、と思いましたね」
「すごいアイデアだ。お値段も、さぞや、ですが」
「ええ。他では、ホテルとのコラボの派生的なものとなりますが、飲みに特化したプランですとか。もちろん、缶ビールやら酎ハイやらではなく、ワインを、それこそソムリエを付けて提供するようなプランも検討しております」
「素晴らしいですね。ところで、舞姫も、こちらを使わせていただけるのでしょうか?」
「ええ。もちろんですとも。そういえば、ここを使え、という話は、舞姫さんのご教示、と伺いました。何か独自のプランをお考えでしょうか?」
「落ち着いた雰囲気の中で、アリーナグルメ、ですか。一般より少しランクを上げて、お値段も高めにして、とか。その程度でしたね。しかし、さすがはロケッツさんでした。ホテルとのコラボまでお考えだったとは。はるかに上を行かれていました。そもそもスケールが違って、僕たちでは思い付きもしなかったでしょうが」
しれっとした顔をして、尋道のよいしょがすさまじい。
「いやいや。全て伊東ですよ。私どもでも、ホテルを使おう、なんてアイデアは、なかなか」
「他にも、コラボをお考えで?」
「スポンサーシートも、交渉中ですね」
「ああ。ロケッツさんならでは、だ。舞姫の名前では、まだ難しい」
「舞姫は、舞姫なりの規模でいいんじゃない」
やりとりに孝子も加わる。振り返って、二人に近づいた。聞いているだけでは、暇だった。
「はい」
「私たちも、ここを使ったプランの検討を本格的に始めないと、ですね。会見が終わったら、相談しましょう」
「そうですね。ああ。そろそろだ」
尋道の声に、孝子は視線を舞台に移した。会見の司会を務める小早川基佳が現れた。本日付で舞浜ケーブルテレビ株式会社に入社した基佳は、早々の抜擢だ。といっても、取材チーム「小早川組」の顔として、既に経験は豊富な彼女だった。大過なく役目を果たすだろう。
熱のこもった会話は、いったん終わりだ。三人は席に着いた。
「今の話」
孝子は小声で尋道に話し掛けた。
「はい」
「斎藤さんがいたら、興奮していたでしょうね」
「確かに」
二人が話題に上せたカラーズきっての活動家、斎藤みさとは不在だった。税理士の登録を目指す彼女は、実務経験を積むため、まさにこの日より父親が経営する税理士事務所に入所していた。いくら舞姫の晴れの日とはいえ、まさかに初っぱなから欠勤は許されない。いや、本人は欠勤も辞さず、の構えであったが、父親に一喝され、泣く泣く諦めたのだとか。みさとにとっては、なんとも間が悪い話といえた。




