第四五五話 乱れ髪(一八)
年度末の舞姫館には、普段に倍する人数がたむろっていた。体育館で催された小宴に参加しているのは、カラーズ、舞姫の選手、スタッフら計二〇人の他、長沢、各務、二人に随行してきた景以下二〇人余の舞浜大学女子バスケ部員たちだ。
集いの理由は、慰労と激励の組み合わせになっている。
まず、中村が、この日をもって、全日本女子バスケットボールチームのヘッドコーチ職を退任する。長沢も舞浜市の教員としての最後の一日だ。慰労会は二人を対象にしたものだった。
両者は各務と併せて激励会の主賓でもあった。それぞれ、舞姫のヘッドコーチ、那古野女学院の教職、中村の後を受け全日本女子バスケットボールチームのヘッドコーチへと転じる。また、LBA三年目のシーズンに臨む静と美鈴、鳴り物入りでLBAに乗り込む春菜、およびこの年度替わりに人生の節目を迎える者たちも、おまけで激励されることになっていた。
「おうい」
孝子は彰に声を掛けた。前の相手との談笑が一段落した際に、たまたまそばにいた。
「はい」
つと寄ってきた男の顔を、視線を上げて見る。彰は孝子より二〇センチ高い一九二センチの長身だ。
「いよいよ舞姫が正式に始動するね。どう? 気負いとか、ある?」
「そうですね。そういえば、カラーズさんはフリータイム制なんですよね?」
「うん」
「こっちは朝の九時なんですよ。今までは舞姫も、ほぼフリータイムだったんですけど、これからは渋滞を見越して、七時ごろには家を出ないといけないんで、そこだけが」
「彰君は、どこに住んでるんだっけ?」
「目堂です」
東京都目堂区なら、トリニティ本社を訪ねて、何度か行った経験がある。車で一時間弱、かかったはずだ。
「遠いね」
「はい。早くロケッツ館が完成してほしいですよ」
舞姫館の隣に建設中のロケッツ館は、年度が明けての四月末に落成予定だ。彰は、その寮棟の一室を間借りする予定になっていた。
「一カ月か。そうだ。おばさまに、うちに来たら、みたいな話、されてなかったっけ?」
「まさか。行けませんよ。静ちゃんがいるならともかく、もうじき、LBAに行っちゃいますし」
「確かに気まずいね」
そこに、ぬっと現れたのは、静、景、祥子、まどかの四人だ。鶴ヶ丘高校女子バスケットボール部のOGたちである。
「珍しい組み合わせ」
「新米コーチの泣き言を聞いてたんだよ」
「え。彰君、何か困ってるの?」
「朝が早くて、つらいんだとさ」
「ええ?」
心配して損した、と静の表情は露骨だ。
「まあまあ。彰君のおうち、東京の目堂区だって。私も、目堂区は何度か行ったことあるけど、車で一時間ぐらいかかる。朝の渋滞を見越すと、本当に二時間前には家を出たほうがいいし。ロケッツ館が完成するまで、頑張れよ、って」
「でも、中村先輩に比べたら。中村先輩は、鷹場市ですし」
「そっちも遠いな」
東京都の西部に所在する鷹場市からでは、舞姫館のある亀ヶ淵まで、平時でも一時間強はかかるだろう。
「往復二、三時間か。大変だ。ロケッツ館が完成するまで、二人でマンスリーのマンションにでも入ったら? 出してあげるよ」
「そんな。悪いですよ」
「そう」
五人が一斉にはっとしたのは、声に含まれた怒気に圧倒されたためだろう。実際、せっかくの好意をむげにしやがって、と孝子は激していた。しかも、だ。大学の先輩にも関わってくる話なのに、一存で断るとは。不心得者が。
一方、彰たちをほっぽって向かった先では、中村が謝意を満面に浮かべて、孝子を礼賛している。
「やあ。それは、ありがたい。なんせ行き来だけで、毎日、三時間近く使ってまして。本当に助かります」
好意が正しく報われて、孝子はご満悦となった。
「郷本君。いいお部屋をお探ししてね」
即座に切り札を投入する。呼び寄せられた尋道は、ぺこり、と頭を下げた。
「わかりました。さしずめ雪吹君は遠慮して怒られた、あたりですか」
「あいつには何もしなくていいよ」
「仰せのままに。しかし、なかなか浸透しませんね。あなたの激情家ぶりも」
孝子は冷厳とうなずいた。皆が、自分について正鵠を射た評を述べた男のようであればいい、と勝手を念じながら。




