第四五三話 乱れ髪(一六)
食堂の隅で円卓を囲んだのは、孝子、長沢、中村、井幡、という四人だ。賓客を遇するに当たって、カラーズ、舞姫、両組織の重鎮が顔をそろえた。同席のかなわなかった関係者が、周囲を固めていることは、言うまでもない。
「先生。那古野でのお住まいは、もう、お決まりになったんですか?」
話題は、自然と長沢の身の上話になる。年度いっぱいで舞浜市の教員を辞し、新年度からは那古野女学院に転ずる彼女なのだ。
「当面は、松波先生のお宅に居候させていただく、って話になってる。いつまでもいられないけど、いつまでもいたくなるようなお宅だったね」
「あ。長沢さん。じいちゃんの家、行ったんですね」
隣のテーブルの美鈴が円卓に取り付いてきた。
「うん。面接で向こうに行ったとき、泊めてもらった」
「学校まで、すごく近かったでしょう」
「いいよね。静の家とまではいかないけど、あの距離は魅力」
長沢は、つい目と鼻の先に鶴ヶ丘高校がある神宮寺家を例に引いた。
「今は、乗り換えがあって、順調でも四〇分ぐらいかかるんだよね。本当に、ずっと置いてほしくなっちゃうわ」
「そんなに近いんですか?」
「五〇〇はないんじゃないかな」
交ざってきた静に長沢が応じる。
「近々、ナジョガクさんに、ごあいさつに行かないとね」
「お。いいね。たーちゃん、行くか。案内するぞ」
「ミス姉が来てくれるのは心強いけど、時期が難しいな」
三月中は、肝心の長沢が那古野に不在だ。しかし、四月に入ったら入ったで、設立会見に始まる舞姫の業務、斎藤みさとの離脱、LBA勢の渡米、と立て込む。
「ほう。私がいないと困るってか。これは、交渉事かな?」
税理士登録の要件となる実務経験を積むため、父親の経営する税理士事務所に入所予定のみさとだった。
「お姉さん。ナジョガクとの提携話ですね?」
続いて春菜の指摘が入る。
「そのとおり」
「以前、お話をいただきましてね。ナジョガクOG筆頭として、長沢先輩の那古野での活動をアシストしてくれ、って。でしたら、合わせて、カラーズさんはナジョガクのスポンサーになってください、と提案したんですよ。松波先生直々のスカウトを受け、OG筆頭の私ときょうだい弟子である方が、スポンサーまで連れてくれば、どうなるか。長沢絶対王政が誕生します」
「そういうことか。早速、動いていい?」
「待った。お金は悪いよ」
長沢は渋い顔で止めに入った。
「ご心配なく。舞浜大との産学連携もそうですが、舞姫にも利のある話です。遠慮はなさらないよう、お願いします」
みさとがずいと押し出した。この手の機動力で彼女に太刀打ちできる者はいない。
「舞姫に、どんな利があるの?」
「いずれ長沢先生の秘蔵っ子を舞姫に送っていただきます。ぺいぺいが最も苦労するパイプ作りを、一足飛ばしで完了できるなら、多少の出費、惜しくありません」
「ははあ。そういう考え方も、あり、か」
「大ありです。受けていただけますか?」
「わかった。お願いしようか。この恩は未来のエースを育てることで返させてもらうよ」
みさとは莞爾としてうなずいた。
「よし。こっちはまとまった。じゃあ、ナジョガクとの話、進めるぞ。いいね?」
「うん。お願いね、斎藤さん。そうだ。先生、未来のエース候補が入ってきたら、ぜひ出稽古にいらっしゃってください。舞姫には最高の選手がいますので、未来のエースさんのために、きっとなると思います」
「それは、こっちからお願いしたぐらい。なんてったって、全日本が三人だもんね」
「私の言った最高の選手は、その三人じゃありません。シェリルが来ます。アーティも」
もったいぶらずに孝子は正答を提示した。
「は!?」
長沢の顔が静に向いた。仕掛け人とみたのだ。静は慌てた様子で首を横に振った。
「私じゃないです」
「お前以外に誰が、あの二人を呼べるの」
レザネフォル・エンジェルスの二人とは、相当に緊密な関係で知られる静だった。
「お姉ちゃんが」
「次のユニバースで、必ず全日本を打ち破るために、日本のバスケを研究したい、とシェリルがカラーズに言ってきたので、契約しました」
「孝子。教えてよ。知ってたら、ナジョガクには行かずに舞姫に残ったのに。私もシェリルと一緒にやりたかったよ」
あんぐりと口を開いていた長沢が、絞り出すように言った。
「先生。シェリルから打診があったのは、先生のナジョガク行きが決まった後です」
「ああ……」
長沢はのけ反り、そのままの姿勢で微動だにしない。バスケットボールに生きる者として、「Ms.Basketball」、シェリル・クラウスとの共闘の機会を逃したのは、全く衝撃的だったのだろう、が。こればかりは、巡り合わせが悪かった、としか言いようがなく、黙然と長沢の悲嘆が去るのを待つしかない孝子であった。




