第四五一話 乱れ髪(一四)
オフィスを離れた二人は、右手に食堂、厨房、化粧室と眺めながら廊下を歩く。化粧室の先が階段になるが、さらにその先は洗濯室、浴室などの水回りだ。また、化粧室の向かいは、体育館棟につながる扉となっている。
「2のCは、あっちだけど、まず、こっちに来て」
麻弥は二階に上がったところで、左を、次いで、右を示した。右へ行くと部屋が三つある。扉の室名札には、端から、2I 黒瀬真中、2H、カラーズ、2G、香取優衣とあった。
「カラーズの部屋なんかあったの?」
「うん。一応、休憩室的な? ただ、私は使わないし、斎藤は自分の部屋があるしで、持て余し気味。どうするかな」
「アトリエにでもしたら?」
「大げさな」
「じゃあ、2のCに集約する? 私たちのアトリエ・アンド・スタジオ」
「お前、孤高じゃなくていいの?」
「あんなの、郷本君が私を追い払うために言っただけ。何が『至上の天才』よ。笑いそうになった。でも、あの脅し文句のおかげで、以後は、きゃつらもおとなしくなるでしょうよ」
「そうか。まあ、ここに住んでるわけでもない私たちが、いくつも部屋を占拠してるのはまずいし、休憩室兼みたいな感じで、アトリエ・アンド・スタジオにするか」
「そうしよう」
一度、階段前まで戻る。
「先に三階を見るか?」
「二階と同じなんでしょう? いいよ」
三階の探索は回避し、そのまま廊下を直進する。化粧室、2F、斎藤みさと、2E、伊澤まどか、2D、高遠祥子、ときて、アトリエ・アンド・スタジオを設立予定の2Cだ。
「井幡さんもだけど、斎藤さんも二階なんだね。三階の隅とか、いい部屋を取ってると思ってた」
「選手が年功序列で決めて、その後で、井幡さんと斎藤。高遠と伊澤は、合流が遅かったんで、最後」
「そういう順番だったんだ。よし。入ろう」
扉のリーダーにカードキーをかざして解錠し、室内に入る。
「お。大きな部屋だ」
眼前の空間に孝子は目を丸くした。家具の配置は井幡の説明どおりだが、その間隔が広いのだ。
「クローゼット含めて、一三帖ぐらいだって」
壁際に寄って、腰高窓に掛かったカーテンを引きながら麻弥が言った。
「私たちには大き過ぎるぐらいだね。ただ、机が一つしかない。麻弥ちゃん、本格的なやつを買う? イーゼル、だっけ」
「私のイラストに、そんな本格的な道具はいらない。普通の机でいい」
「なら、使ってない部屋から、かっぱらってこようか」
「うん。わざわざ買うのももったいないし、井幡さんに聞いてみるか」
「行こう」
「その前に、曲が聴きたい」
私は、余計なこと、は言わなかったはずだ。麻弥の主張であった。
「いいよ。でも、危なかったんじゃない? いつもなら麻弥ちゃんが言いそうな話だったよ」
「あれは、出遅れた。危なかった。天才の扱い方を肝に銘じないと、だ」
「天才じゃない、って。余計なことを言ったので意地悪をする」
「ええ。なんだよ」
「私の曲以外にも、剣崎さんとおじさまの曲もいただいてきたのだよ。四曲。うち、私は二曲。当ててみたまえ。剣崎さんの曲を外したら、彼女が曲を間違えました、ってちくる」
「やめろよ」
スマートフォンを取り出し、麻弥に構わず再生する。順番は、『Festival Prelude』、『Wayfarer』、『Steps』、『Overture』、だ。
「ヒント、あげようか?」
聴き終わった後も、神妙な顔を崩さない麻弥に、孝子は言った。
「……いや。多分、わかった、と思う」
「ほう。聞こうか」
「『Festival Prelude』と『Wayfarer』がお前で、『Steps』がおじさん、『Overture』が剣崎さん?」
自信なさげに言った割には、全問正解ではないか。
「よくわかったね」
麻弥が根拠として示したのは、作曲者たちの得手だった。まず、孝子にギターを教えた信之の楽曲は、おそらくギターサウンドが際立つものであろう、と予想した。よって、『Steps』を消す。次に、主旋律が明確で、ポップ風味の強い『Festival Prelude』と『Wayfarer』を孝子の作と読む。残った一曲の『Overture』が剣崎の楽曲だ。
「正解なんだけど、よりによって彼氏の曲を消去法かね。やっぱり、ちくろう」
「やめろよ」
「まあ、一応、正解したんだし、勘弁しておきますか。よし。『アトジオ』を作ろうぜ」
「アトジオ?」
「アトリエとスタジオでアトジオ。スタリエでもいいけど」
「私はどっちでもいいんで、お前が最初に言ったほうにしようか」
決定に至ったところで、二人は部屋を出た。アトジオ構築に取り掛かるのである。手始めは机の移設だが、そろえるべき用具は、他にもあるだろう。一仕事になる。楽しくなってきた、とほくそ笑む孝子であった。




