第四五〇話 乱れ髪(一三)
残り二週間とはいえ、要請があった以上は、努力してみるべきだろう。孝子は楽曲制作の継続を決めた。間に合えば、よし。間に合わぬも、よし。既にコンペティションには二曲を提出済みだ。気楽に臨める。
「まひかぜ」で軽い食事を取らせてもらった後、遅れて出勤した舞姫館で、早速、シンセサイザーに向かった。しばらくいじっていると、麻弥とみさとが、こちらをちらちらうかがっていることに気付いた。
「うるさかった?」
ヘッドホンは着けていたし、シンセサイザーも、そろそろ扱っていたつもりだが。
「いや。何をしてるのかな、って」
「見ればわかるでしょう。曲を作ってるんだよ」
「それは、見ればわかるけど。なんの曲?」
みさとは口をとがらせる。
「コンペティションの」
「あ。この前、話してたやつか。完成したんじゃなかったの?」
「どしどし作れ、って指令が出てね。いくらでも使うシチュエーションはあるんだって」
「そうだ」
立ち上がった麻弥が寄ってきた。
「剣崎さんに渡した曲、どうなった? 聴きたい」
「いいよ。応接室を使おうか」
「ここでやればいいのに」
「SO101なら、そうしたけどね」
午後のひととき、舞姫島では中村らが執務中だった。
「お姉ちゃん。なんの話?」
舞姫島にいた静が、椅子のキャスターを転がして近づいてくる。
「舞姫の舞台演出で使う曲の話」
「聴きたい! お姉ちゃん。麻弥ちよりも舞姫所属の私に聴かせるべきじゃないかな!」
「おい!」
「静ちゃんも来たらいい。そこにいても、さっちゃんと伊澤さんの邪魔になるだけだし」
「えー。邪魔じゃないよね? サチ、伊澤」
問われた二人は失笑した。確かに静、何をするでもなく、舞姫勤務の後輩たちのそばに居座っている、はた迷惑な先輩なのだ。
「とにかく、おいで」
「どうせなら、みんなに聴いてもらって、意見とか聞いてみたら?」
「そうそう。舞姫のための曲なんだし」
静とみさとの言に続いたのは、尋道のため息だった。
「せっかく機嫌よく聴かせてくれそうだったのに。余計なことを」
暴れ馬、岡宮鏡子のマネージャーを大過なく務める男の観察力は、だてではなかった。尋道の指摘どおり、孝子は気分を害している。
「そういうこった。私に指図するな」
重低音がエントランスホールに響いた。
「スケールは違いますが、いわば『至上の天才』の音楽版ですよ。あの剣崎さんでさえ、この人には、一切、意見しません。見習ってください。さて。神宮寺さん」
孝子はちらりと尋道を見た。
「作業は、寮の空き部屋でされては、いかがですか? 天才には孤高が似合います。井幡さん。寮の空きは、いくつありましたっけ?」
カラーズ島の騒乱を眺めていた井幡の背が、しゃきっと伸びた。
「四部屋です。三階に二部屋と、二階に二部屋。ただ、三階は、一応、外国籍選手のために空けてあるので、実質的には二階の二部屋でしょうか。もちろん、神宮寺さんがお使いになるのでしたら、三階でも、全然、構いませんが」
「あ。でしたら、私の部屋の隣はいかがですか? 私、2のDで、2のBと2のCが空いてるんですよ」
井幡の説明を受けて、手を上げたのは祥子だ。
「ほう。それは面白い。スピーカーをさっちゃんの部屋に向けてセットするかな」
「意地悪だ」
素直で、礼儀正しくて、お気に入り、と自ら評した相手とのやりとりだった。孝子は機嫌を直して大笑する。
「ちなみに、2のAは、どなた?」
「私です」
井幡だった。
「悩ましいな。2のBに入って、井幡さんの部屋にスピーカーを向ける手もあるのか」
「えっ」
「冗談ですよ。2のCにします。家具って、何か、あるんですか?」
「入ってすぐの左手に据え付けのクローゼットがあって、それから、奥の壁際に、ベッドと机と椅子、ですね」
十分だ。シンセサイザーとヘッドホンをキャリングバッグにしまい込む。立ち上がった孝子に、井幡が2C号室のカードキーを手渡してくる。
「ありがとうございます」
「持つよ」
麻弥が手を差し出してきた。キャリングバッグを任せろ、というのだ。
「ほい。あまり重くはないんだけど、かさばるよ。気を付けて。そうだ。私、上の階、見たことないや。案内して」
「わかった」
キャリングバッグを手に提げた麻弥を従え、孝子はカラーズ島を離れた。尋道の進言を入れ、孤高に浸るため、2C号室に向かうのである。




