第四四八話 乱れ髪(一一)
孝子が海の見える丘の面々の聴取を始めたのは、帰還翌日の朝食時だった。年度替わりまで半月足らずとなったが、今回の年度替わりは、これまでと異なる意味合いを持つ。大学を卒業する麻弥、LBAに進出する春菜、と前後して半数の構成員に一身上の変化が生ずるのだ。四年前に始まった当地での生活は、孝子が大学を卒業する来年度末に終わりを告げる。大きな転換から始まる海の見える丘のラストイヤーを、いかが過ごすつもりか、そうただしたのである。
「どうした、いきなり」
ダイニングテーブルの隣に座る麻弥が孝子を見ている。手に茶わんを持ったままで、彼女の動きは止まっていた。
「うむ。こっちに戻ってきて、そういえば、あと一年か、と思ったら、いろいろ込み上げてきて」
「そうだな。私は、お前が出ていくまで一緒にいるつもりだけど」
「いてくれる?」
「うん」
「舞姫館でも、ちょっと話したけど、移動は、どうする? 私、大学で勉強するし、佳世君の送迎もあるしで、できれば車を使いたいんだけど」
「お前、単位、足りてないの?」
「足りてるよ。だからって、大学に行かない理由にはならないでしょう? だいたい、親に学費を出してもらってきた分際で、単位を取り終わったし、もう行く必要はないだろう、みたいな考えに至る、その性根が理解できない」
麻弥、撃沈である。
「耳が痛いんですけど」
孝子の対面に座る春菜もうめいた。
「お姉さん。私は最後まで大学に通いますよ」
気色の悪い二人を尻目に、春菜の隣の池田佳世は鼻を高くしている。
「えらいぞ。佳世君」
「三年までに単位が取り終わりそうにないだけなんですが」
「ほめて損した」
佳世は首をすくめてみせた。
「そうそう。新年度はどうなるか、まだわかりませんけど、春休みの間は、お車、大丈夫ですよ。須之内さんが部活の送り迎えをしてくれるので」
意外な組み合わせが成立した理由は、こうである。
恩師の長沢美馬を慕って、教職に進む予定の須之内景だが、その人となりは、はっきりと陰性だ。そんな教え子に、舞浜大学女子バスケットボール部監督の各務智恵子が与えた愛のむちこそ、次代のキャプテンを意味する副キャプテンへの任命であった。当代のキャプテンを助け、積極的に部員と交流を持つことで、来たる教職生活に備えさせよう、というわけだった。
不慣れな務めに注力する景が、部員間をさまよううち、聞き付けたのは海の見える丘の事情になる。孝子不在のあおりを受け、麻弥が一人で車を東奔西走させている、と知った景は、佳世に部活の送迎を申し出てきたそうな。
「うちの車があれば、須之に迷惑を掛ける必要もなかったんですが」
一時期、所要に使うため、親元から借り出した車を海の見える丘に置いていた春菜がつぶやく。孝子が渡米してすぐに返却要請があって、車は今、実家に戻されていた。
「迷惑には違いないけど、須之ちゃんの修行に役立ってる、とも言えるでしょう。けがの功名、って解釈にしておいたら? で、話を戻すけど、麻弥ちゃん、どうする? 春休みのうちは、須之ちゃんにお手伝いしてもらうとして、その後は?」
「いずれ自分の車が欲しい、とは思ってるんだけど、すぐに買えるほどの余裕はないし。当面はワタナベ2000を使おうかな」
麻弥は、カラーズと提携関係にある、神奈川ワタナベ株式会社から貸与を受けている車を挙げた。マニュアル車で、乗る者は少ない。うってつけと思われた。
「いいね。そうして」
「家事は、私に任せてくれていいよ。元々、そうだったけど、カラーズは正式にフリータイム制にする、って斎藤が決めたんだ。遅めに出て、早めに帰ってくる、なんてこともできると思う」
「アーティスト枠の麻弥ちゃんには、いい制度だね」
「なんだよ。アーティスト枠、って」
「カラーズの誇るイラストレーターでしょう。そうだ。高遠さんに伊澤さん、立て続けに入団が決まったけど、もう手を付けた?」
舞姫の舞台演出に使うイラスト制作を請け負っているのが、カラーズの誇るイラストレーター氏であった。
「ああ。見せればよかったな。もう剣崎さんに渡しちゃった。高遠も伊澤も、高校バスケで有名だろ? 本人たちに頼むまでもなく十分に資料が集まって、すぐに描けたんだよ。実は、高遠がこっちに戻る前に描き上がってた」
「イラストレーター、やるじゃない」
会話に一区切りつき、朝食が再開した。ダイニングテーブルには、雑穀米、だし巻きのおろし添え、ひじきと大豆の煮物、シジミの吸い物という、海の見える丘らしいメニューが並んでいた。家事は任せろ、と豪語した麻弥が腕を振るった。孝子の親友は料理の達者なのである。




